無事に、はたちになれました。
誕生日は1週間以上前のことですが、書いておきます!
たくさんのお祝いのメッセージ、本当にありがとうございました。
ひとつひとつのメッセージを読みながら、その人との時間を思い出して、あったかい気持ちになれました。嬉しかったです。
スウェーデンで迎えた誕生日では、友達とわちゃわちゃして、0:00になった瞬間ハッピーバースデーソングを歌ってもらい、20年前の誕生日にあげた産声みたいな声で泣きまくって、幸せすぎて死ぬ…と思ってたら、知らない間に死んだように眠ってました。
20才になって初めての朝、起きて机の上のワインやケーキやプレゼントを見て、またあたたかい気持ちがぐわぁっとこみ上げてきて、3度寝した…(日曜日でよかった)
はたちかぁ。
どうやったらおとなになれるんだろう。
少しずつおとなになっているのかな。
背伸びしておとなにならなくていいか。
こどもの部分もあるおとなになりたいな。
とか考えてたら、4度寝しそうになった。
私にたくさん影響を与えてくれる人、
いろんな世界を見せてくれる人、
くだらないことで一緒にゲラゲラ笑ってくれる人、
いつも励ましてくれる人…
本当にありがとう。
そして、20年間たくさん愛して私を育ててくれた親に、心から感謝です。
スウェーデンに来て、本当に私は親に恵まれていたんだなぁと実感します。
産んでくれて、育ててくれて、ありがとう。
って直接言えなかったけど、心からそう思ってるよ。
子育てに成功とか失敗とかないと思うけど、
私はこの2人に育ててもらってよかったなぁと思う。
私の親も、私が20歳にまるまでの子育て期間を楽しんでくれていたら、これからの私の成長を楽しみにしてくれていたら、嬉しいなぁ。
私が歩けるようになったとき、
文字を書けるようになったとき、
九九を全部言えるようになったとき、
かけっこで2位になったとき、
受験やめたいって言ったとき、
アフリカに行きたいと頼んだとき、
スピーチコンテストで賞を取れなくて悔し泣きしたとき、
友達とけんかしたとき、
恋が終わったとき、
バイト先に来てくれたとき、
進路に迷ったとき、
スウェーデンの留学が決まったとき。
そばにいてくれて、ありがとう。
褒めてくれて、話を聞いてくれて、一緒に喜んでくれて、涙を拭いてくれて、背中を押してくれて、
ありがとう。
20年間生きてきて、それなりに自分の軸ができてきて、
親を親だけじゃなくて1人の人間として見るようになって。
改めて、人間として好きだなぁと思いました。
誕生日は、プレゼントをたくさんもらってハッピーになる日、です。
20回目の誕生日も、友達からたくさんのプレゼントをもらって、おめでとうって言葉をもらって、嬉しかった。
でも、20回目の誕生日で、
誕生日という日は、自分を育ててくれた親に感謝する日。
そしてそれをちゃんと表現して伝える日でもあるんだなぁと思いました。
はたちになりました、じゃなくて、
はたちになれました、だね。
そう簡単になれるもんじゃない。
何事も当たり前って思っちゃいけないね。
そんなこんなで、はたちになれました。
思うことはたっくさんあるけど、ここらへんで。
これからもどうぞ、よろしくお願いします!
ブログ読んでくれている方、ありがとうございます!!
明日も、みなさんにとって、いい1日になりますように。
ポストを開けたらカレーのルーが入っていた話
1月の始め。
フランスからスウェーデンに帰ってきて、ポストを開けたら、
カレーのルーが入ってた。
それと一緒に、一枚の手紙も入ってた。
頑張って書いたんだなってわかる日本語を見て、わかりました。
秋学期でアメリカに帰った、大切な友達、Spenserからでした。
手紙を読んでたら、あぁこんな友達を持てて本当によかったなぁ、ってSpenserとの思い出が涙となってぶわあああって溢れ出した。
彼は、本当に私とはまったく違うバックグラウンドを持った人だったんです。
パブで「ぼく、日本語しゃべれます」
ってかなり流暢な日本語で話しかけられて、そこから仲良くなって。
日本語は独学で学んだの?って聞いたら、
「日本の米軍基地に3年間いたんだ、沖縄」って返ってきた。
日本にいた時、日本語を勉強して、沖縄の言葉も現地の人に教えてもらって、たくさんの日本人と仲良くなって、日本のこと大好きになったんだって。
たくさんの沖縄の言葉を、教えてくれました。
「にふぇーでーびる」は覚えておいたほうがいい、ありがとうって意味だよ。
一緒にカレーを食べながらそう教えてくれたのが、昨日のことのよう。
彼はカレーは簡単だからね〜って言いながら、よくアジアンショップで買った日本のカレー(インドカレーはあんま好きじゃないらしい)をふるまってくれてました。
日本が好き、日本に帰りたい、って何回も言ってた。
そして、日本のあとに韓国でも米軍として数年働いてたらしい。
毎日過酷な練習をしてて、ある日泥沼をほふく前進している時に、ふと
「軍隊やめよう、勉強したい」と思って、米軍基地の仕事をやめて、必死で勉強してアメリカの大学に入って、物理学を専攻して、ルンドに半年の留学に来たらしい。
本当に勉強したい、と思った人が来てるんだな、大学ってところは。
そう思わせてくれたのは彼でした。
「Spenserはなんで米軍基地で働こうと思ったの?日本には徴兵制がないし、そんなに軍隊とかで働くのが一般的ではないんだよね」
こんな質問を、キムチカレーを食べてる時に聞いた。
(カレーとキムチってすっごく合う!本当においしかった。)
「どこから話そうかなぁ…」
聞いてはいけなかったかな、と思わせるような間があった。
口の中のキムチが、ちょっぴり酸っぱくなった気がした。
「ぼくのお母さんは、メキシコからの移民で、お父さんはネイティブ・アメリカンだったんだ。だから、アメリカの社会のヒエラルキーの中だとね、かなり下のほうなんだ。」
ネイティブ・アメリカンって、アジア系だから、ぼくには髭があんまりないわけ。ほら。って、あごを指差した。他のヨーロッパの人に比べたら、たしかに全然ない。
「貧乏だったから、小さいとき病院に行けなかったんだ。アメリカは保険が高いから。ぼくは長男だったけど、下に兄弟は4人いるし、風邪をひいても、病気になっても、医者に診てもらうことはなかったんだよ」
お金がないと病院に行けない、保険にも入れない、道で死んじゃうかもしれない、そんな国なんだよアメリカは。
医療費が原因で自己破産する人がめちゃくちゃ多いって聞いたことあったけど、
それで命を落とす人がいるんだな…。
日本で生きていて、病院に行くことは私にとって普通のことだったし、医療費が中学3年生まで無料のところに住んでいたので、Spenserの話を聞いた時はびっくりしました。
目の前に座っているSpenserに「生きててよかったねぇ!」って言ったら、すっごく笑ってた。
彼は学校での成績がいつもビリから数えたほうが早いくらい悪くて、
みんなとはどんどん差が開いていって、クラスでは全く集中できなくて、
親が病気かと疑ったけど、病院にも行けず、
「できない子」となった。
そして、学校をドロップアウトしてしまい、軍に入ったんだって。
机の上で勉強しなくていいからね。って。
机の上に置いてあったタブレットが入ったビンに気づいた。
ビタミンD剤かな…?
これなに?って聞いたら、「薬だよ」って返ってきた。
Spenserはちょっと息を深く吸ってから言った。
「ADHDって病気だってことが、数年前にわかったんだ。だから毎日この薬飲んでるの。」
アメリカから持ってきたのがなくなったから、スウェーデンの病院で処方してもらったらしい。
ADHDって知ってる?
うん。知ってるよ。でもそこまで詳しくは知らないかな。
彼はその病気についていろいろ話してくれた。
ADHD(注意欠陥・多動性障害)には多動性・衝動性・不注意の3つの症状があって、子どものとき発症することもあれば、大人になって発症することもある。
人によって度合いは違うけど、計画立てて順序どおりに物事をこなすのが苦手だったり、ひとつのことにずっと集中できなかったり、いろんなことを先延ばしにしてしまったり、忘れ物が多かったり。日常生活に支障がでてしまう病気。
もし、ぼくが小さい頃保険に入っていて、
病院に行って、医者に診てもらって、
病気だってわかってたら、
それか病気になってなかったら、
たぶん学校をドロップアウトすることもなかっただろうし、
軍隊にも入ってなかっただろうな。
人生、今とは全然違うものになってただろうな。
ってキムチカレーを食べながらSpenserが言った。
でも、もしその病気になってなかったら、
ドロップアウトして、軍隊に入って、
いろいろなことを経験して、
日本に来て、韓国にも行って、
本当に勉強したいって思って、頑張って大学に入って、ルンドに来て、
私に会ってカレーを食べる、なんてことはなかっただろうね。
病気になってよかったかもね!
って私も水を飲んでから言った。
キムチカレー、ちょっぴり辛かった。
そんなことを話して、人生っておもしろーいって言いながら、2人でゲラゲラ笑ってた。
病気のことを、話してくれてありがとう、って言ったら、
聞いてくれてありがとう。
今日は、ハッピーな気分だから、薬は飲まないですむよ。
って言われた。
その言葉を聞いて、本当に本当に嬉しかった。心があったかくなった。
ありがとう、でいっぱいの時間でした。
彼、カリフォルニアでたくさんの日光あびてるんだろうなぁぁいいな。
いろんな世界を見せてくれて、Spenserありがとう!
おいしいカレー、作ります。
キムチも、今度入れてみようかな。
明日もいい1日になりますように!