スウェーデンの高校で授業してきた
書こう書こうと思って、ずっと書けていなかった学校視察のこと。
スウェーデンの地元の高校に視察に行く機会がありました。
その高校で、日本語のクラスを担任しているあるスウェーデン人の先生と仲良くなり、ぜひ授業に来てほしいと言われたので、秒でおけまるした◎
スウェーデンの教育制度を学ぶだけでなく、どんな風に主体性を引き出す教育が行われているんだろうって思ってスウェーデンに来たので、この話が舞い降りてきたときはもうガッツポーズしまくってました。
このチャンスは絶対逃すまい!と思って、わっくわくしながらお気に入りのマフラーを巻いて家を出た当日。
先生が風邪をひいてしまい、なんやかんやあって、私が1時間、日本語の授業をすることになりました。
生徒には「今日は日本人のKanonさんが代わりに授業に来ます」といったメールが送られていたみたい。
私それ知らないよ…!
クラスに到着してからそのことを知った私。
…いやいやいやいや!
急すぎて何をやればいいかわからないし、ひとりで授業したことないし、15人くらいの高校生は大人びすぎててなんか自分が小さく思えるし、まず何語で授業すればいいんだ…。
生徒はおしゃべりしながら、私の方をチラチラ見て、待っている。
ある生徒が、私のところに来て、「これ、ホワイトボードのペンです」って渡してくれた。ペンがなんだかずっしりと重くかんじた。
「今まで体験したことない種類のむちゃぶりだぁ〜やるしかないな…」と思いながら、
”Ok let’s get started!”
とか言って、震えそうな足に力を入れながら教壇の上に立った。
ここからだと、クラスのみんなの顔がよく見えるなぁ。
みんなの視線が、すべて私に向けられて、焼かれそうだった。
青い瞳、黒い瞳、茶色い瞳、灰色の瞳。
全部きらきらしていた。学ぶ瞳だった。
不思議なことにその瞬間から、あっっという間に1時間が過ぎてました。
ちなみに机の上に置いてあった教科書は「げんき」っていうとにかく日本語教育でポピュラーな教科書。
ルンド大学の日本語学科の人たちもこの教科書を使って勉強しています。
早稲田で日本語を学んでいる人のクラスにもボランティアで行っていたんですが、その時もみんな「げんき」を使っていました。
いつも教科書を使っているなら、今回は教科書は使わずに、会話だけで進めていこう。
と決めて、まずはひとりずつ日本語で自己紹介をしてもらいました。
日本人と日本語で話すことは全然なかったみたいなので、みんなすごい緊張してたなぁ。
ふんふん、趣味はなに?へぇ〜どんなのが好きなの?ほ〜ん、他にもこれ好きな人いるのかな?
と適当に話を膨らませたりして、いつ話が自分に飛んでくるかわからないような、ずっと顔をあげているような授業になりました。
みんなと話してたら、あれも知ってほしい!これも教えたらもう少し日本語が楽しくなるかな!何が知りたいのかな!って、どんどん溢れ出てくる感覚を味わいました。
お腹がむずむずする感じ。
教えるって、めちゃくちゃ楽しい。
先生って、こんなに生徒とたくさんコミュニケーションをとれるんだなぁ。
途中で何人かが、これは日本語で何て言うんですか?とか、これとこれの違いはなんですか?とか聞いてくれた。
正直、説明するのはすんごく難しかった。
自分でも考えたことのないようなことを言われて、
内心、「ええええそれはなんとなく「が」を使っているんだよなぁ。「は」を使うとなんとなく変なかんじがするんだよなぁ。」と思っていて、それを英語で説明しなきゃならんので、ぐぬぬと数秒詰まることもあった。
漢字をホワイトボードに大きく書いて、みんながそれをノートにうつしたり、
このフレーズはよく使うから、使ってみよう!って、クラスみんなで何回かそのフレーズを声に出して言ってもらったり。
すっごくいい経験でした。
母国語をあらためて考え直すと、けっこうおもしろい発見があります。
ニュアンスの違いや文法だけでなく、日本の文化やスラングも英語で説明しました。
あんまり垢抜けてない人のことを最近の大学生は「芋」って言うんだよ。うん、potatoね。ぽてと。って言いながら、ホワイトボードにじゃがいもの絵を書いたら、みんな爆笑してた。
スウェーデンの若者が使っているスラングや高校生のイマドキの文化も教えてくれて、楽しかった。
教室って、一方通行ではないですね!
学び合いの場なんだなぁって、感じました。
説明したあとに、生徒が「へぇ〜!」「知らなかった」というリアクションをしてくれると、私の中でも、「伝わった!」「よかった、わかってくれた」って嬉しくなりました。
最後に授業のことや教育について聞いた時に答えてくれた、印象的だった言葉。
「スウェーデンでは、先生はもっとちゃんと認められるべき」
「給料が低い」
「いつもパソコンを使って授業してるよ」
「みんな英語は普通に話せるから、日常会話も英語になる」
今まで見てなかったスウェーデンの教育の影の部分と、ITと教育をうまく掛け合わせている部分、そして英語教育のレベルの高さが見えました。
生徒はみんな、学校からひとり一台パソコンを配布されていました。
それを毎日持ってきて授業中に使い、宿題もその学校が作ったプラットフォームに提出する。
授業で使ったパワポも、そこにのっていて、家で何回も見れる。
あと、普通に教材に音声が付いているから、ぽちっと押すと発音もすぐ学べる。他の言語を学ぶにはすごくよさそう。
「じゃあ5分早いけど、授業おわりにします!楽しかったよありがとう!なんか質問あったらぜひ聞いてね」と言って、ペンのキャップをキュッと締めました。
疲れたけど、それ以上に、ほくほくしているものがあった。
「Kanon先生、ばいばーい!」
年はひとつふたつくらいしか変わらないのに先生って呼ばれて、ちょっと不思議なかんじでした。嬉しかったです。
先生、風邪だいじょうぶかな。
でも、風邪をひいてくれたおかげで、私もいい経験できました。
貴重な機会をありがとうございます!
明日もいい1日になりますように!
祝!100本目の記事!
ブログを書き始めて、7ヶ月くらい経ちました。
そして、これはまさかの奇跡の記念すべき100記事目!やったー
ちょっと写真多めだよ!
絶対三日坊主になると思ってたけど、意外とほそぼそ続いてる…!
自分でもちょっと信じられないや。
最近は書く頻度落ちたけど、書きたいことは山ほどあります。
読んでいる人がいるおかげで、書こうって思えます。
留学終わるまでにあと100本は書きたいねぇ。
暇つぶしに読んでもらえればいいなって思って、
自分の経験を誰かに伝えたくて、
発見したことを忘れたくなくて、
自分の言葉で発信する力をつけたくて、
よ〜し始めてみよ〜うって書き始めたこのブログ。
書いていくうちに、
言葉を紡ぐことの楽しさを覚えて、
それと同時に言葉の限界を感じて、
自分の語彙の少なさに唖然として、
伝わらないときの悔しさと、
伝わったときの嬉しさと、
言語化できないものの美しさと、
自分にしかわからない、自分の中だけにある感覚を、
たーっくさん感じるようになって、
時には考えがまとまったり、
知らなかった自分を知れたり、
見えなかった弱点にぶち当たったり。
とにかく、考える機会が増えました。
ブログを始めてよかったとしか思わないなぁ。
100本目に何書こう…って考えてたら、ブログ書かずに1ヶ月経ってたよ。
親からは「ブログ更新されてないから生きてるのかわからない」と言われた。
時が経つのは本当に早いもので、今日で、日本に帰るまでの日数が120日を切ったんです。戦慄。
自分が、どれだけなりたい自分になれているか、不安になる。
時間を無駄にしてないかな、って心配になる。
季節に置いてかれそうになる。こわい。
今まで感じたことも、もうちょっと時間が経てば、セピア色になっちゃうのかな。
今日、友達といろんなこと語ったあとに見た綺麗な夕焼けも、
昨日、バスを追いかけている私に気づいてバスを停めてくれた運転手さんの笑顔も、
一昨日、アップルパイを上手に焼けたときの素敵な香りも、
全部、いつかは忘れちゃうのかな。
まつげに積もった雪の隙間から見えた景色も、
自転車を漕いでいるときにほっぺで感じた夕陽も、
飛行機の窓から見えるふわふわのうろこ雲も、
新しい街で知らない人と交わした小さな会話も、
心揺さぶられる音楽に出会ったときの興奮も、
言葉も出ないくらいおいしかったごはんも、
全部、いつかは忘れちゃうのかな。
って思うと、こわくて、さみしくて。
バスに乗っている時、涙がこぼれそうになりました。
音楽のボリュームを上げて、視線を窓の外に向けて、唇を噛んだ。
とてつもなく、切なくなりました。
胸が雑巾絞りされているかんじ。
忘れたくないものが、どんどん増えてる。
だから、写真とか言葉で、残しておけるものは、残したいな。と思うようになりました。
写真を見返していると、一瞬を切り取ったものなのに、そこから時間が流れ出す。
ブログを読み返していると、平面に書かれた活字だけど、そこから空間が広がる。
文明ってすごいねぇ!
写真とか言葉で、何かを伝えられる人になりたいなぁ。誰かをインスパイアできるようになれたらなぁ。とも思うようになりました。
日本に帰ったら、周りのみんなはいろいろ始めているんだろうなぁ。
大学3年生だもんなぁ。社会に出るのも意外ともうすぐなのかぁ。
ボスキャリ、ロンキャリ、就活、内定、インターンシップ、って言葉もたくさん聞くようになって、
頭のすみにはずっと日本の生活や社会があって。
ちょっとずつ焦りも感じていました。
私も、何かやらなきゃいけないのかもって。
教育という分野に興味がある私は、どういう形で教育に関わっていくんだろう。
先生になるのか、教育系の民間企業で働くのか、それとも文部科学省とかで教育のカリキュラムを作る人になるのか。
正直、まだわからないです。もしかしたら、全然違うことをしてるかもしれない。
小さいころ、将来は〇〇になりたいって職業を当てはめていたけれど、
めまぐるしく変わっていくこの世の中で将来その職業があるかわからないし、
大事なのはどんな環境でも柔軟に生きていける人間力をつけていくことなのかなぁ。
と、まぁいろんな本に書いてありそうなことですが、そうしみじみ感じています。
スウェーデンに来て、いろーんな価値観に出会って、考えさせられて。
結局人生は何になりたいか、っていう肩書きじゃなくて、
何をしたいか。
何かしたいことがあって、その手段としての、職業、仕事なのかな。
って考えるようになりました。
ある職業に就きたい、というより、
自分の世界が広がることをしたい、好きなことをして生活したい、と思うようになりました。
だから、仕事はころころ変わるかもしれません。
仕事はひとつの手段でしかないのかなぁって、思ってます。
仕事ってそう甘くないよ
世の中自分の好きなことだけで食っていけないよ
って言われそう!
まだ社会の酸いも甘いも噛み分けてない大学生の私が今はこんなことほざいてるけど、数年後にはみんなと同じ黒いスーツを着た一羽になって、なんとなく一応就活して企業に入ったよーん…みたいなことが起こってたら、心の底から笑っちゃうな。
どんなことをしているんだろうなぁ、将来。
進路がぼんやりしてて、予想できなくて、そわそわ焦燥感に駆られるときもあるけど、
人生は、予想以上か、予想外じゃないとおもしろくないよ。
っていう言葉を思い出すと、なんか人生大丈夫!って思えます。
子どもを産んでから、大学に入って、学びたいことを自由に学んでいる人。
学校を中退して日本と韓国で米兵として働いた後に大学に入った人。
アメリカ系の会社に勤めているのが理由で祖国のイランに帰れないというチェコで働いている人。
スウェーデンに来た難民の方にスウェーデン語を教えている70歳の人。
世界を変えたくてカナダからギターを背負って5年間世界を放浪していた人。
フランスから日本に飛んで7年住んで私よりも日本のこと知ってるんじゃないかってくらい日本を知っている人。
離婚してからスイスの山に住み始めて女優として人生を再出発した人。
コソボから来ておいしいバーガーをルンドで毎日作っている人。
オーストラリアでワーホリをしてたら獣医になりたくなってスウェーデンで勉強し始めた人。
いろんな人に出会って、話を聞いた。
いろんな生き方があるんだ。あっていいんだ。って思えた。
自分の世界がウィーンって広がる音がした。
自分の常識がバキバキって壊れる音がした。
(最近少しずつ変わっているようだけど)大学を卒業したあとすぐ社会に出て新卒採用されないと社会から弾かれる、みたいな風潮が、へんてこだと感じた。
バカバカしいねそれ。
誰の人生なのかわからなくなるね。
と言われたこともある。
外に出てみないと、分からないことだったよ。
そうだ、私が尊敬している人から誕生日にいただいたメッセージを、ここにちょっと引用しちゃおう。
”海外留学はやっぱり「非日常」で、それは日本に帰ってきてからの「日常」を変えるためにあるものだから、帰国前にしっかり心を整えて、日本に着いてから新しいスタートが切れるよう準備を始めてみるのはどうでしょう?”
日本に帰りたくなーーい!ってちょっとネガティブだった私にとって、これは本当に必要な言葉だった。
帰国まで、あと120日。
ちゃんと自分の時間を作って、自分と向き合って、心を整えよう。って思えました。
ありがとうございます。
その作業をするのに、ブログはやっぱり一番よき手段です。
日もだんだん長くなってきました。
春も、もうすぐです。早く気温2桁にならないかな。
そちらのほうでは、もうあたたかくなっているのかな。
ぐはぁ、長々と3200字も書いちゃったよ…。
ここまで読んでくれた人、どうもありがとう!
帰国までにあと100記事書くから、ぜひぜひ暇つぶしに読んでみてね!
明日も、いい1日になりますように。