母なる大地と哲学
一昨日、ルワンダに行こうと思い、チケットを取り、ホステルもバッチリ、あとは空港に向かうだけ!というときに、まさかのビザを取っていなかったことに気づいた高橋です。
自分がアホすぎて涙も出ない。
タンザニアみたいにアライバルビザを取れると思っていたのに。
出発3時間前にして、「よーし、ビザとるのにどのくらいかかるのかなぁん」って鼻歌歌いながらパソコンでかたかた調べていたら、
「日本人はアライバルビザは取れない」
って文字が飛び込んできた。
およ?
「こんにちは!日本人なんですけど、今からルワンダに行くつもりなんですけど、ビザ取り忘れてたんですけど、えーっと、ルワンダ行ってもいいですか?」
間髪入れず「NO」
「えーーー!?!?」
当たり前じゃ。
冷静に考えて、ビザないのに国にほいほい入れてくれるわけない。
ここは、ヨーロッパやない。アフリカや。
世の中舐めてたなぁと反省しました。ビザはおろか国に入る時パスポートすら見せなくてもよいヨーロッパに1年間いて、感覚がおかしくなっていた。
まぁビザなしでルワンダに飛ばなくてよかった…。
ビザなしで行ったら、そもそもルワンダに入れないから不法侵入にはならないけど、
なにが起こっていたかわからないからね!
多額の資金をはたいて、「ビザは大事」という教訓を得たよ。 ゴメンナサイ…
パスポート大事ってスウェーデンにいる時に痛いほど学んだけど、
今回はビザは本当に大事って気づきました。
それなりに凹んだので、本当に美しかった母なる大地へ想いを馳せて、元気を出そうと思います。
↑ ビザのことをすっかり忘れてて、ベッドの上で放心状態だった私。
この前、タンザニアで絶対に行こうと思っていたサファリに行ってきました。
金土日の3日間で、ンゴロンゴロ、マニャーラ、そしてタランゲラの3つのナショナルパークに行ってきたよ。
これは、一番印象に残っている、ンゴロンゴロ保全地域!
うがいの音みたいで、ついつい何回も言ってしまいます。
なんとこれ火山!何百万年前もの火山が作り出したカルデラ。
外側は標高2400mでくぼんでいるところは1800mなんだって。
高低差ありすぎて耳キーンってなった。
ここで感じた自然はすごかった。
こ、これが、本物の自然かぁ…。
呆然としてしまった。
ジープで壮大な大地の上を、砂埃を舞い上げながら、ただただひたすら走る。
体全部で感じた、突き抜けるような風。
その風に乗って運ばれてくるくすぐったい自然の香り。
動物園でしか見たことなかった動物たちが、悠々と流れる雲の下で、本当に幸せそうに生きている。
ガイドさんが話してくれたゾウの話がすっごく面白かった。
ゾウって、人間には聞こえない周波をお腹から出して、遠くにいるゾウと会話できるんだって!知ってましたか?
何kmも先にいるゾウが、地面からその周波をものすんごくsensitiveな足の裏で感じ取るんだとか。
また、グループの中の長老(リーダー)が死んでしまったら、お葬式もするらしい。特別な周波によってみんなが集まって、その死体を落ち葉などで隠して、食べられないようにして、死を悼むらしい。
でも最近はゾウの密猟が問題で、どんどん個体数が減っているみたい。
象牙を買う私たち消費者がいるから、その密猟は後を絶たない。
今は、象牙でお金を儲けている人たちに対して、それに代わるようなサファリのガイドなどの雇用を生み出しているんだって。
ゾウなんて見たことないヨーロッパの人にとって、象牙のなめらかさはもうアンビリバボーだったらしい。
風に乗ってインド洋をどんぶらこと渡ってきたアラブの商人も、アフリカ大陸の東海岸の都市で交易していたけど、象牙を直接探そうとどんどん内陸の方に入ってきて、現地のバントゥー諸語とアラビア語が交わって、スワヒリ語が作られた。
「スワヒリ」はアラビア語で「海岸」って意味。
スワヒリ語の語彙の約半分がアラビア語ってことからも、歴史が絡んでいることがわかる。
スワヒリ語は、風と象牙が作った言葉。って考えると、なんだかロマンを感じるね!
シマウマは、
黒いボディに白いシマか、白いボディに黒いシマか。
どっちか知っていますか?
正解は、黒いボディに白いシマ! へぇぇって声が聞こえてきます
野生のシマウマは、これでもかというくらい美しかった。
双眼鏡越しのライオン!
ライオンはメスが狩りをして、強そうなオスはただごはんが運ばれてくるのを待っているだけ。オスはたまーーに協力するらしい。
そういう亭主関白な男はまっぴらごめんです。
メスライオンがヌーを狩り、内蔵を取り出して家族のもとに帰る瞬間!
ヌーの体の中に上半身全部入れて、そこから出てきたときの衝撃と言ったら!
口の周り、前足、BLOODY!! 血まみれでした。
死と生、弱と強。
自然の真理を目の当たりにしました。
ヌー!
ヌーの大移動って有名だけど、川で溺れちゃうことも多いんだって。
でも、この川での溺死が生態系にすっごく役立ってるらしい!
ヌーの骨が何年もかけて分解される過程で、リンを排出するんだけども、このリンが植物にもとってもよい栄養になる◎
大量溺死の遺産。と言われているらしいです。自然はうまく回っているなぁ…。
バブーンって呼ばれるおさるの一種。
池で水遊びしてた。
ごろーんと置いてあった骨。誰のだろう…。
こんなお花もちょこちょこ咲いています。
カバ。
普通に泥の山かと思った。
あまりにもかわいくなくて、びっくり。
草しか食べないのになんでこんなに太っちゃったんだろう。
ガイドに聞いたら「動いてないからだよ」
運動の大切さをひしひしと感じました。
カバは陸上生物の中で、一番クジラ類に近いらしい。
綺麗な鳥もたくさん!
キリン。
動物の中で一番高血圧。心臓から2m離れた脳みそまで血を届けきゃいけないからね!
赤ちゃんは、2mの高さからボトッと産み落とされるけど、怪我もなく、全然大丈夫らしい◎
1日の睡眠時間は、長くても10分。
夢とか見てるのかなあ。
ボリビアのウユニ塩湖みたいでテンション上がった!
絶景を後ろに、ガイドの人と。たくさんお話してくれてありがとう!
あさんてさーな!thank you very much
こんなところに泊まりました。
夜、星が本当に綺麗だった。
綺麗だろうと期待はしていたけど、圧巻だった。写真撮るの忘れた。
黒い布をびっしりと覆い尽くす無数のスパンコール。
芝生の上によいしょと仰向けになる。
大地の香りに包まれて、聞こえるのは自分の呼吸だけ。
真空空間にいるみたい。
タンザニアの空気を肺いっぱい吸い込んで、ドーム状の星空に向かってふーっと息を届ける。
目を閉じて、まぶたの裏に星の残像を感じながら、そのまますーっと地面に染み込んでいくようだった。
そのあと一緒にサファリを楽しんでいた友達と、焚き火の周りに座って、語った。
満天の星空の下、やわらかな火の温度を感じながら、将来の夢、タンザニアでの活動、好きな国、いろいろ話した。
すごく徳が高い人だった。
彼に「do you have "Ikigai"(生きがい) ?」って急に聞かれたときは驚いた。
思わず空を見て、「あへへ」って意味不明な笑い声を出しちゃったほど。
そんなこと考えたことなかった。
孔子と話してる弟子の気分だった。
「生きがい」って言葉どこで知ったの?
前に会った日本人に教えてもらったんだ。
へぇ!
英語だとthe reason of livingだけど。日本語って、素敵な言葉たくさんあるよね。
そう言われたときは、純粋に嬉しかったなぁ。
目の前で静かに燃えている火の熱が、ぽっと、ほっぺたに移った。
「生きがいかぁ…いい質問ですねぇ」って言って、うーん…と考える。
沈黙が流れる。
哲学するのにとっても心地よい宇宙が、頭の上には広がっていた。
哲学をちゃんと学びたいと思った時だった。
いかに生きるか、を突き詰めた学問。
中学の時に学んだ、孔子の言葉をここに書いとこう。
学びて思わざればすなわち罔し、
思いて学ばざればすなわち殆し
学んでも考えなければ、はっきり理解した状態にならない。
考えるだけで学ぶことがなければ、独断に陥り危険である。
当時はあんまり意味がわからなかったけど、今なら分かる気がする。
ブログ書いていたら、元気たくさん出ました。
今飲んでいるジンジャーハニーティーが、ものすんごく辛くて、汗かいてる…。
ルワンダは、もっと歴史を学んでから行こう。
またアフリカに来る理由ができたと思って :)
あなたにとっての生きがいって、なんですか。
明日もみなさんにとってよい1日になりますように!
5年越しの片思いが実って、タンザニアの山奥に来た話。
超久しぶりの投稿です。
最近タンザニアの男からよく求婚されてます、高橋です。
この前は、マサイ族の人に「僕の2番の妻になってほしい。牛5頭でどう?」って聞かれました。
え、私って牛5頭ほどの価値なの…!?
(価値が低いのか高いのかよくわからない)
味わったことのないカルチャーショックを受けつつ、「私旦那がいるんだ、ごめんね!」って笑顔で言い、解決。このフレーズが一番効くらしい。
ちなみにタンザニアでは全員ではないけれど特にマサイ族の男は、牛を贈り物として、新婦の家族に渡しているよ。その新郎が十分な牛を結婚時に渡せない場合は、その新郎新婦の子どもが借金というか借牛(?)という感覚で、後で牛を渡すみたい。牛を渡す文化も少しずつ変わってきているらしく、昔は60頭が普通だったけど最近は数が減ってきているんだって。私の知り合いは、5頭の牛をお嫁さんの家族に渡したと言ってました。私=牛5頭って、まぁまぁ妥当な価値なのかも!
牛は普通にごろごろいます。
今まで来たことがなかった、アフリカ大陸。
私は今、タンザニアの山奥にいます!
毎日が、新しくて、学ぶことが多い。
タンザニアは勢いがある国。
街中が目がくらむような色で溢れていて、路上には美味しそうなフルーツや野菜が並んでいて、クラクションの音と、人の声と、どこからか流れてきたラジオの音楽がごっちゃごちゃに混じりあって、心地よいカオスを生み出している。
2年前に行ったバングラデシュをふと思い出す。
タンザニアって赤道直下だし暑いだろうと思ってたけど、ほんとに寒い。
南半球だから季節は真逆で、今は一応、冬!
首都のダルエスサラームは暑いみたいだけど、私がいるのはキリマンジャロから2時間くらい車で走ったところにあるアルーシャっていう街。
ここアルーシャにある、メルー山っていう富士山よりも標高が高い山の中にいるんです。
毎日ヒートテックの上にジャケット着てます。特に夜は冷えるので、風邪ひかないように足湯をしたり、熱した鍋を抱っこしたり。
お湯は3分も出せばブレーカーが落ちちゃうし、お風呂場はアリが異常に多いし、スワヒリ語まだ全然わからん!
水道水はそのままでは絶対飲んではいけないので、いつも煮沸消毒しなきゃだめ。
そんな山奥にある中学校で、私は英語で、地理と英語と日本文化とたまに音楽を教えています。
この中学校に2週間滞在した後、他の学校に移るよ。
実は、タンザニアでは中学校からすべての授業を英語で行うことが決められているんです。大学は完全に英語!
英語の教科書。表紙の絵がとっても物騒。タンザニアでよくある光景なのか…。
タンザニアは、年にイギリスから1961年に独立した国。道行くおじいちゃんと英語で会話できたりするんです。植民地教育で、英語を習ってたから。
コンセントもイギリスと同じ形のもの(BF型)で、車も右方向で右ハンドル。これは日本と一緒なので、トヨタや日産の車だけでなく、「〇〇幼稚園」って書かれたバスとかが中古車としてそのまんまタンザニアで走ってる。とっても不思議なかんじです。
みんなバランスとるの超絶うまい!
スウェーデンから帰ってきて、タンザニアに飛び立つまで、日本で4週間過ごしました。
変わったもの。変わってないもの。
私の考え方が変わったから、少し違って見える世界もあった。
大学に行ったら、友達が、スーツを着るようになっていた。
スッキリと髪も黒くなって、大人になっていた。
「サマーインターンの面接なんだ」「コンサルは早めにESを出さないと…」「webテストがうにゃうにゃ」
パリッとスーツを着て、社会に貢献する人、つまり社会人になる準備をしていた。
すごいなって思う。
私は…
ユニクロのTシャツに、超動きやすいユニクロのパンツを履いて、虫除けスプレーとスワヒリ語の辞書が入ったバックパックを背負い、地球の裏側に来ていた。
私がこの夏をかけてやろうとしていることってどうやって未来につながるんだろう、つなげられるんだろう。って何回悩んだかなぁ。
毎日のように、「〇〇のインターンの申し込み」「企業面接のコツ!」みたいなメールが来る。
それを開くこともなく0.5秒くらいで削除してるけど、就活の準備ってしなくていいの?
みんながやっているように、私もOB訪問とか企業のこと調べたりとか、いろいろしなきゃいけないんじゃないの?
就活に違和感を感じてたけど、自問自答して不安になったり、ならなかったり。
私が社会にどうやって貢献できるのかよくわからないんだ。
どういう仕事をしたいのかも、はっきりわからない。
だから、好きなことと、興味があることに、まっすぐになろうと思った。
まっすぐになったら、日本からすーっと線が伸びて、タンザニアに着いた。
なぜ私が今タンザニアにいるのかって話は、高校生まで遡る。
5年前、私が15歳の頃、アフリカっていう大陸になぜかすっごく行きたくて、何があるのか全く分からなくて。
とにかく「知りたい」「行きたい」「見たい」でいっぱいになった時がありました。
担任の先生に相談したら「いいですねぇ~」って言われて、もう今しかない!絶対行く!ってなり、親に行かせてくれと頼み込みました。その時はパワポとか全く使えなくて、紙芝居みたいなのを作ってプレゼンをしたなぁ。
食卓に母と父を呼んで、2人の前で「うりゃぁぁ世界を広げたい!」的なことを言った気がする。
あるボランティアに参加して、現地に行きたいって。
タンザニアは、アフリカの中でも比較的治安がよくて、120以上の民族がいる。
高い山があって、深い湖があって、たくさんの野生の動物がいて、そして人間が生まれた場所がある国。行くしかねぇ!
アッツアツのプレゼンをした数秒後に、見事に
「かのんは英語も話せないんだし、スキルもない。
行ってもただのお荷物になる。
自分で力つけてから行きなさい。」
ピシャリ。って音がしたのを覚えています。
まだ私はそこに行ってもないのに。ボランティアをしたら、誰かのためになることをするのに。
そこに行って初めて気づくことも絶対あるし、そこで力をつけるもん。
なんで今、私を行かせてくれないんだろう?
もやもやが晴れないので、2回目のプレゼンをしたら
「もっと役に立つ人になってから行きなさい。
じゃないとただの自己満で終わるよ。」
って静かに言われました。
危ないとか、お金がかかるとか、そういうことは言われなかったなぁ。
役に立つ人ではないのは確か。だけどどうやったらそういう人になれるんだ…。
その夏、アツくなった私の小さな夢はしゅーんとしぼみ、8月31日に宿題に追われるような例年通りの夏休みを過ごした。
でも世界史でアフリカの歴史を習っているときはすごくわくわくしたし、アフリカという言葉を見ると「あ…」って立ち止まっちゃってたし、アフリカ縦断した人に話を聞きに行って「絶対サハラ砂漠で星を見る」って決意したりして、なんやかんやずーっと惹かれていた。アフリカは、憧れの存在だった。
数年が過ぎて、大学生になった。
人生の夏休みと言われる大学生活中には、絶対に留学すると決めていた。
スウェーデンの主体性を引き出す教育に興味があったから、スウェーデンに留学し、幼稚園~高校の教育現場に足を運んだ。
この1年で、教育への興味がより強くなって。
日本語を高校生に教えたり、日本文化を小学生に紹介したり、生徒と一緒に話している時に、子どもたちからたくさんのことを学んだんです。
教師って、教えるだけじゃなくて、双方的に生徒からたくさんのことを学べる職業なんだなぁ。
教育という分野にどうやって携わろうか、どういう関わり方が自分に合っているのか。
どういう仕事をしている時、自分が好きな自分でいれるのか。
将来のことを考える機会に溢れていた留学でした。
そんな留学中に、お隣の国、デンマークで同じトビタテ留学JAPAN!から奨学金をもらっていて、教育留学をしている人に会ったんです。
彼はフィリピンに行ったあと、タンザニアに移り、そのあとオランダに行って、各国の教育を視察している人でした。
値段がやけに高いスパゲティ(デンマークなので)を食べながら、彼のタンザニアでの話を聞いていたとき、私のお腹あたりがすーーーっごくアツくなってきた。
これはちょっとスパイシーなスパゲティのせい、ではない。
5年前に玉砕した小さな夢のカケラが、気づくか気づかないかくらいの熱をずっと保っていて、彼のタンザニアの話を聞いていたら、体中に散らばったカケラたちが5年越しにぎゅっっと集まって、化学式では表せないような反応を起こして、星が出来る瞬間と同じような熱を発した。
物理的にすっごく体があつくなってた。37度5分くらいはあったと思う。
彼に「その学校とつなげてくれませんか」ってお願いして、それともうひとつずっと行きたかったプロジェクトに応募して、タンザニアに行くって決めた。スウェーデンでいろいろやりとりをした。
スウェーデンでできた友達にそのことを話したら「いいじゃんタンザニア!また学びが深まるね!」「どんな教育が行われているのか比較できて面白そう」って背中を押してくれた。「お父さんお母さんを説得できるように準備しなきゃだね」って手伝ってくれた。
結局、スウェーデンの小さな部屋で、親とSkype上でプレゼンをした。
今回は5年前の紙芝居とは違い、パソコンでパワポを使った。
なんかこわい。
なんでタンザニアなのか、なんで今なのか、なんで私が行く必要があるのか、かかる費用、治安面、ワクチンの話…。タンザニアにいたことがある人とSkypeで相談したり、1日中グーグルで調べたりして、20枚くらいのスライドを作った。
「黄熱病の注射は日本に帰ってから受けるから大丈夫!マラリアもキンチョールとかでなんとかなる!」
5年前はただただ「見たことのない世界を漠然と見たい、人のためになりたい」って、誰でも言えるようなことを言った。
でも5年経って、「今まで経験したことを、どうタンザニアでの経験につなげていくのか。なにを学びたいのか。」を言えるようになっていた。
人のためになりたい、とだけ思ってた自分が、少しだけ変わった。
自分のやりたいことをやりたいため。
自分の見たい世界を見たいため。
自分のスキルを試したいため。
っていう、理由が加わった。
話していたら、胸からなんか熱いものがこみ上げてきて、途中からひぃぃんって馬みたいな声を出して、泣きながらプレゼンした。
「5年前とは全然違うねぇ」って笑う母の顔。
「ちゃんと学んで来なさい。遊びじゃないんだからね。」って優しく諭す父の顔。
その顔が脳裏に焼き付いたまま、Skypeを終え、パソコンを閉じて、
ひゃっほおおおおおおほほおおおい!って狭い部屋を2、3周しました。嬉しかった。
外はまだ寒かったけど、それから春が来て、あたたかくなって、夏になって、今、冬のタンザニアにいる。
5年越しに、片思いが叶ったような気持ち。
自分の好奇心に、まっすぐになっていいんだなぁ。って思った瞬間だった。
そして今、心から思うのが、5年前にタンザニアに行かなくてよかった、ということ。
英語を話せないまま、自分のやりたい!って思うことがないまま、タンザニアに飛びこんでも、得られるものは絶対あったと思う。
でも、英語を話せるようになって、英語で何かを教えたいと思えるようになって、そして学びたいものがある今の私は、5年前の私とは比べ物にならないほどたくさんのことを吸収できていると思うんだ。
じゃないと、「あぁ異文化交流!楽しかった!」で終わっちゃったと思うから。
だから、5年前に親が行かせてくれなかったことに、心から感謝している。
5年後のこと見通してたかぁ~さすが!ありがとうございます。
そして、比べるのは、周りの他人ではなく、昔の自分だと、いろいろ発見があっておもしろい。
自分の人生って、他人じゃなくて、自分自身が基準。
ってことを忘れちゃうんだけど、うん、迷ったときこそ、思い出さなきゃ。
タンザニアの女性は本当におしゃれ。カラフルでパワフルな服を着てて、それが本当に似合っているから素敵!
今日も温かいシャワーは出ないので、沸かしたお湯を桶にためて、洗います。
でっかいアリと格闘し、覚えたスワヒリ語を寝る前に唱えて、寝る。
こんな生活日本ではあんまりできないから、思いっきり楽しんでます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
日本はまだまだ暑いのかな。花火大会で盛り上がっているのかな。
みなさんにとって、明日もいい夏の1日になりますように。