Canon越しの世界

自分の目とカメラを通して、日常をゆるく発信していきます

旅をして、テロにあって。1年前の自分の日記を読んで思うこと

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インドからこんにちは!

今日の気温は35℃!涼しすぎる…!と感動している高橋です。

インドも今週から雨季に入りました。ちょっとウェットな毎日です。

そして7月になりましたね!もう2018年も後半に突入かぁ。

 

 

ちょうど1年前に、スウェーデンから帰国しました。

スウェーデンにいる時はまさか自分が1年後にインドにいるなんて微塵にも思ってなかったです。人生なにがあるかわからないですね。

 

そして、「本当に人生って何があるかわからないな」と人生で初めて身体が恐怖で震えるほど実感したのも、ちょうど1年前でした。

 

スウェーデンの大学でのコースが全て終わり、バックパックを背負って、ヨーロッパを一人旅をしていた時。スウェーデンからデンマークに行き、ハンガリースロベニアクロアチア、イタリア、フランス、そしてベルギーと順調に旅を進めていた時、ことは起こりました。

 

テロが起きたんです。

 

その時に感じていたこと、考えたことを、1年前の自分は日記にバ――ッと書いていて。でもバタバタしていてずっとブログにあげてなかったので、1年越しにはなってしまいましたが、載せようと思います。日記を読んでいて、その時に感じた湿度や痛みもすごくリアルに蘇ってきました。そして、1年前の自分と会話してる気分だった!

 

 

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1年前@ベルギー


 

パリから4時間くらいバスに揺られ、ベルギーの首都ブリュッセルに着いたとき、ものすんごく胸がざわざわしていた。というのも

 

バスで隣に座っていた女の人にどこに泊まるの?って聞かれて、ここだよ!ってグーグルマップでピンをつけたところを見せた。

私の泊まるホステルを見たとき、彼女の眉毛がぴくってなったのを、私は見逃さなかった。

静かに「本当に気をつけてね。そこらへんの地域、治安悪いから」と言われた。

 

地平線に太陽が近づいていくのが、これほどいやだと思ったことはない。

暗くなると治安が一気に悪くなる。

 

旅も慣れていたはずなのに、急にこわくなった。

暗い中ひとりでホステルまで行くのがこわくてしかたがなかった。

バスターミナルに着いた時には、街頭が灯り始め、グーグルマップを映し出すスマホの画面がいやなほど明るく思えた。

しっとりと汗ばんだ手で、スマホを握る。事前に調べておいた行き方を何回も確認して、地下鉄に乗る。

 

 

びっくりした。

本当にいろんな人種の人がいた。

インターナショナルだなぁブリュッセルは!って、ふわふわと思っている暇はない。

スマホwifiもインターネットもつながらない状態で(SIMロックの携帯だったので)、いち早くその 治安の悪い地域” にあるホステルに着かなきゃいけなかった。そわそわする。電車の中でじろじろと見られる。ような気がする。周りで話されている言語がまったくわからない。ブリュッセルはフランス語が話されている地域だけど、アラビア語っぽい言葉とか、スペイン語っぽい言葉も聞こえる。すべての言語が意味を持たない「音」になり、「ノイズ」となり、つり革を掴む手は気づかぬうちにひんやりと冷たく、固くなっていた。

 

 

乗り換えも無事にできて最寄りの駅に着いたけど、胸はまだざわついていた。

 

 

のぼりエスカレーターに乗る。スピードが速いのは気のせいかな。

地上の方を見たら、真っ暗で、吸い込まれそうで、体がぎゅっと硬くなるのを感じた。

街に出た。目に入ったのは、たむろしているアフリカ系とアラブ系の男たちだった。女の人は全くいない。

白い仙人のような服を着たおじいさんが何人かふらふらと歩いている。

夜風が、背中とバックパックの間にすっと入ってきた。

汗がすーっと冷めていく。

「走るぞ」と全細胞に言い聞かせ、私はスマホの地図(スクショ…笑)を見ながら、全速力で走った。

前だけを見て、ただただ、走った。

 

よぼよぼのおじいさんに何か話しかけられて、スピードを1.5倍にギアアップした。

 

 

ホステルが見つからなかったら、死ぬ。

お父さん、お母さん、今までありがとう。

 

 

そんなことを心から思いながら、四肢をこの上なくドラマチックに動かし、肺から血が出そうになるのを感じた時、ホステルに無事に着いた。

 

安堵で崩れ落ちそうになった。

 

変な汗にびっしょりまみれ、ぐったり疲れた体をベッドに横たえ、着替えもせず目を閉じた。

 

 

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次の日、友達に会いに街に出た。

その友達は、私がエストニアを一人旅していた時に、バックパッカーホステルで会った、ベルギー人のEfuって子!(上写真)

ブリュッセルに行くよって行ったら、じゃあ案内するよ!って言ってくれて、もうわくわくが止まらなかった。

こんな風に世界のどこにいてもつながるなんて、嬉しい。思いがけない素敵な出会いだったなぁ。って、朝ごはんのヨーグルトを食べながらのほほーんと思っていた。

 

るんるん気分でホステルの外に出て、数歩歩いて、私は思わず立ち止まった。そして目を疑った。何回も瞬きをするけど、見てる世界は変わらない。

 

 

 

「あれ、私がいるの、モロッコ?」

 

 

 

歩いている女の人はみなヒジャブをつけていて、男の人もアラブ系の顔。

お店の看板が、すべてアラビア語で書かれていたのだった。

 

 

ここはどこ、私は誰、な状態。

 

 

混乱した。グーグルマップを開き、2本の指を画面上で開閉しながら高度をあげていくと、私はなんと

 

 

 

ロッコにいた

 

 

 

ということはなく、予定通りベルギーにいました。

 

こんな街あったんだ!なんだかモロッコに来たみたい!

 

前に歩いていたアラブ系の人にフランス語で話しかけられ、にこっとしたらどんどんフランス語で色々話しかけてきた。

よくわからなかったので無視していたら、彼の口調が強くなった。

 

ごごごごごめんなさい!!

 

自然と体は動いていて、駅に着くまでずっと走っていた。

 

無事に2人のベルギー人Efuと彼女の友達Sedricに会った。

ベルギーでは挨拶でほっぺにキスを1回します。でも私が前日までいたフランスでは2回キスをしていたから、2回目のキスをしようと顔を反対の方に動かしたら、するっとかわされた。国境を超えると挨拶の文化も違うなぁって感じた時だった。

フレンチフライやワッフルを食べ、Efuの友達も合流してわいわい夜ご飯を食べ終わって帰ろうとした時。

 

 

「テロが起きた。もうメトロは使えないよ」

男の人が駆け寄ってきて、私たちに言った。

 

なにかの冗談なのかと思った。

 

人が何人かバタバタと駆けていくのが見えた。

 

その場で友達がスマホで調べ、爆弾とスイッチを持った男が中央駅で駆け回っているらしいと言った。

広場は、私がいるところから一駅先のところにあった。

 

 

自爆テロ

という日本語が頭に浮かんだ瞬間、凍りついた。胸がぎゅーーっと苦しくなる。

この痛みがどういうものか言葉にできなくて、よくわからなくて、ただ立ちすくんでいた。

 

パニックになりそうな私を、冷静な他の3人がなだめる。

大丈夫。私今からお父さんを呼ぶから。Kanonをホステルまで送っていくから。

 

スマホを握る彼女の指の隙間から、「explosion」という単語と、何かが燃えている写真が目に飛び込んできた。

 

「犯人は、警察に撃たれたって。だから、大丈夫だよ。」

 

 

なにが大丈夫で、なにが大丈夫ではないか、もうわからなかった。

確かなのは、私は大丈夫ではないということだった。

気分が悪くなって吐きそうだった。

 

 

お迎えの車に乗り、みんなシリアスな顔つきで、フランス語でなにか話し始めた。

 

 

窓の外をぼんやりと見る。 

銃を持ち、迷彩柄の服を着ている男が、街に増えていく。

 

彼らが、一瞬だけ、”平和”の象徴かのように見えた。

すごく険しい顔で、でもどこかで「正義を守っているんだ」って誇らしげにも見える顔で、街を闊歩していた。

 

 

ホステルの前に着き、メルシ!また日本で会おうね!って言ってみんなのほっぺに1回ずつキスをして別れ、私は1人でホステルに戻った。

 

 

ホステルの受付の人に、テロ起きたんですね…。犯人は誰だったんですか。って聞いたら

 

 

犯人はこのホステルの2ブロック先に住んでた人だよ。って指をさす。

 

めちゃんこ近くないですか

 

 

動揺を隠せない私に彼はいろんなことを教えてくれた。

 

 

この地域の人口の80%は、モロッコからの移民。

ベルギーにはフランス語圏と、オランダ語圏の2つがあるけど、フランス語圏であるブリュッセルにはモロッコからの移民が多いみたい。

ロッコはかつてフランスの保護領で、フランス語は公用語ではないけど、公用語であるアラビア語と同じくらい国内で使われている。だからモロッコの人はフランス語を話せる人も多い。

どおりで!私が「モロッコみたい」だと思ったのはある意味正しかった。

 

でも、フランス語を話せるからと言って、すぐに社会に溶け込めるってわけではない。

そりゃそうだ。宗教や、文化、育ってきた環境が全然違うから。

 

社会に溶け込めない若者たちの中には、自分の居場所としてテロリストの組織に入り、疑似家族の中で手を染める人もいるらしい。

そこで、自分の居場所を見つけるんだ。

 

 

受付のカウンターにひじをつきながら

「僕はここの街出身なんだ。さっきテレビに写っていた犯人と、小さい頃は一緒にサッカーしてたんだよ。でも、彼らは変わってしまった。あれは、宗教のせいではない。イスラム教のせいではない。メディアはイスラム教とテロを短絡的に結びつけるけど、そうじゃない。お金だ。何が起きているかわからないけど、お金がもらえるから、そして家族に認めてもらえるから、やっているんだと僕は思うんだ」

と彼は言った。

 

彼の白い肌は、どちらかと言うと青白くなっていて、グレーがかった青い目は、悲しみを帯びていた。

 

I’m sorry としか言えなかった。

 

 

まぁテロリストがいるところではテロは起きないよ。テロリストの”家族”が住んでいるからね。ここは安全だよ」

 

安全なのか~!よかった~!

 

なんてさすがに思えない。

 

 

テロという暴力の下で、なんにもできない無力な自分に気づいたし、テロが起きたという事実をまだ受け入れられていない間に、近くにテロリストがいるかもしれないという不安に襲われ、そしてもし自分の友達がテロリストになってしまっていた彼の心情を考えたら、頭がショートしそうだった。

 

そんな状況に陥ったことがなかったので、正直これは夢か現かってかんじだった。

こんなことを旅の途中に経験するなんて… 。

 

部屋に帰り、wifiをつなぎ、「ベルギー テロ」とググる

 

いろんな記事を読んだ。

その中のひとつを読んでいる時「モーレンベークは世界のテロリストの温床」っていう言葉を見て、私は震えた。

私の泊まっていたホステルは、モーレンベークのすぐそばにあったから。

 

ぞくっとした。電気を消し、ぐるぐるまわる脳みそを枕に押し付け、寝た。

 

 

f:id:KanonCanon:20180701185501j:plain ブリュッセルの町並み、とっても綺麗なんです!

 

 

次の日。子どもたちの声で目が醒めた。

「かわいいなぁ」

と、きゃっきゃと楽しそうに遊ぶ声を聞いていて思った。

窓の外を見たら、近くの学校の校庭で遊ぶ子どもたちが目に入った。

全員がアフリカ系かアラブ系の子どもたちだと分かった。

 

テロリストになってしまった人も、昔はあんなふうに遊んでいたんだろうな。って思ったら、なんとも言えない悲しさが押し寄せてきた。

 

そして、パリやブリュッセルで見たアフリカ系の人とアラブ系の人に対してなんとなく「こわい」と思っていた自分に気づいた時に、涙が出てきた。人を見た目で判断すること、ましてや人種で判断するなんて完全なるレイシストだと思っていた自分に、「こわい」という感情があることはショックだった。

 

 

(この原体験が、タンザニアでの経験に繋がっていったのも、もう1年前になるのかぁーって今思うと感慨深い。 )

 

kanoncanon.hatenablog.com

 

 

 

異文化が共存していくことは、やっぱり難しいのかなぁ。

 

 

日本にも、これからもっと多くの移民や難民が入ってくる。

その時、どうやって全く違う文化を持った人を受け入れるかを考えて、一緒に社会を作っていくのは、紛れもなく私たちだ。

少子高齢化が進む社会で、彼らを 労働力 としてみなすんじゃなくて、もっと ”人” として受け入れる社会になったら、摩擦も少なくなるんじゃないかなぁ。

 

20歳の今の私にできることはなんだろう。と、考える1日にしよう。

今日は外には出ないで、ホステルでゆっくりしよう。

 

 

 

1年後@インド


 

…と、すごく長く書いてありました。

 

結局、あの日はホステルでゆっくりして、その後じゃがいもの美味しいポーランドにそそくさと移動したのでした。

 

あれから1年経ったのかぁ。

バックパックは本当に楽しかった。いろんな人に会って、いろんな人生と生き方に触れて、そしてどんな小さな出会いもあたたかさがあると感じて。なんて世界は優しいんだろう、と思えました。

 

 

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インドに来てからも感じます。

世界は優しいし面白い、と。

 

でもテロを目の当たりにして、1年前の私は「世界はやっぱり複雑だな」と感じました。(私は世界をまるごと見たわけでもないし、まず世界ってなんぞやってツッコミが入りそうですが…。)

 

 

世界は複雑だけども。自分が見ている世界や、手の届く半径数メートルの世界だけではなく、もうちょっと遠くの自分がまだ届かないような世界とか、自分の大事にしている人が大切にしている世界も、いい方向に、プラスの方向に影響できたらいいなぁと思っています。どんな手段が私にとって一番いいのだろうか、と今はモヤモヤしていたりもしますが。

 

 

 

世界が不穏な空気に包まれる時、思い出すのは尊敬するガンジーの言葉。

 

 

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」

 

 

 

こうやって1年前の私が感じたことだけでなく、こわいと思ったこと、なにかの拍子に感じた違和感、綺麗だと思うもの、忘れたくないほど好きな時間……などを書き留めたり発信したりすることは、ガンジーが言う通り実際ほとんど意味がないことかもしれない。でも、1年後ですら世界がどうなっているか、何が起こっているかわからない中で、自分が世界に変えられないようにするためには必要なことなのかなぁと思っている、インドでの日曜日です。ガンジー深いよ…。うわぁ、窓の外を見てたら雨降りそう。ここらへんで終わりにします!

 

 

日本では梅雨ももう明けたようですね!

みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!

 

 

 

下の写真は、インドの街角で撮ったもの。

この女の子の眼力には射られたなぁ…!

 

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