Canon越しの世界

自分の目とカメラを通して、日常をゆるく発信していきます

死ぬ、とは

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「死ぬ」ってどういうことなんだろう。

 

「死ぬ」ってどういうこと?

と小さな子どもに聞かれたら、

あなたなら、なんて答えますか?

 

 

ずっと書けていなかったブログ。

今から書くトピックはちょっと重くなってしまうけど、

でも、大切なことを教えてくれた経験だったので、

書き留めておきます。

 


 

元旦。昼の12:35

呼吸が止まった。

それと一緒に、時間も止まった。

 

一瞬が永遠のように思えて、

真空状態に放り込まれたような気分になった。

混乱と沈黙を打ち破ったのは、妹の声だった。

 

スコットーー

 

その瞬間、私は人生で初めて、全身で死というものに対峙した。

 

目の前に横たわる愛犬スコット。

あまりにもあっけなかった。

  

いつか来るだろうと思っていた時間が、

突然木枯らしが吹くように、来てしまった。

 

数分前まで、短くて白い前足がぴくぴくと動いていた。

その小さな痙攣は、残りの命の力が少ないことを物語っていた。

苦しそうに、細く小さく、息をしていた。

最後の力を振り絞って、体をぐっともたげた。

 

あ、目開いたっ

 

妹の声にはかすかな希望が宿されていた。

でも、それから目が閉じることは一生、なかった。 

 

写真で切り取られたかのように、見ている風景が静止画になる。

 

スコットのお腹に私の指の腹を当てる。

……お願いだから、動いてほしい

全神経をそこに集中させて、温度を感じながら、脈の振動を待っていた。

一瞬動いたかのように思ったけど、それは私の鼓動で。

 

その指を、何度もスコットの鼻に当てた。

生暖かい鼻息は、もう出てこない。

スコットは、止まっていた。

 

焦点の合わない目は、遥か遠くを見ているようで、

深い緑色のビー玉のように透き通っていて、きれいだった。

でも、ふと剥製のように見えた時、ぞっと鳥肌が立ってしまった。

 

目の前の死を頭で理解しきれないうちに、

目からぼたぼたと涙が溢れ、スコットの首元に落ちた。

  

行かないでよ、またお散歩行こうよ、ねえ、スコット

 

「おさんぽ」という言葉にいつも敏感な耳も

動くことはなかった。

 

そして、父が声を挙げて泣いているのを、初めて見た。

それを見て、私も咽び泣いた。

 

スコット、ほら、お散歩行くぞ

 

そう泣きながらスコットの体を揺らす。

 

スコットがいる風景

スコットと一緒に過ごした時間

スコットに気付かされたこと

まるで映画が早送り再生されているかのように

色んな思い出が、頭を駆け巡っていた。

 


 

遡ること13年前。

ペットショップの一番上のケースに入っていた、

他の犬とは違い並外れて活発だったウェルシュコーギー

 

パピヨンがいい!柴犬がいい!

当時小学生だった私と妹にはペットショップでそれぞれお気に入りの犬がいたが、

父が一言、スコットを抱っこした時に言った一言

「うちに来るか」

で、すべては決まった。

目が合って、何かが通じたらしい。

 

名前を何にしようか家族会議をしていて、なかなか決まらなかった時。

机の真ん中に置いてあるティッシュペーパーの箱に「スコッティ」と書いてあって

ピンと来た私は「スコッティがいい!」と言った。

いいね!でもティッシュみたいにペラペラな犬にはなってほしくないね…

という議論を経て、「スコット」になった。

後で調べたら、南極に初めて行ったのも「スコット隊長」だったらしい。

いい名前!SCOTT爆誕

 

 

ペットショップからの帰り道。

車の後部座席の上、妹と私の間に置かれたひとつの箱。

500円玉より一回り大きい穴がいくつか開いていて、

そこから黒くて少し湿った鼻を不安げにのぞかせていた。

どこに連れて行かれるか分からないその子犬は家に着き、

新しい世界に興味津々だった。

フローリングの床に降り立って、よちよち歩きでリビングを歩いていた。

 

「ようこそ、スコット」

きょとんとして少し首をかしげた君は、家族になった。

 

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スコットは、いわゆる「おりこうさん」な犬ではなかった。(上写真参考)

力ずくでリードをひっぱり、肩を脱臼させるくらい急に走り出す。

取り込んだばかりのふわふわの洗濯物の上に真っ先に乗っかり、とことん散らかす。

ソファーも壁もボロボロにして、畳もがりがり掘って床を貼り変える始末。

電柱に見間違えて、立ち話しているおばさんの足におしっこかけちゃうし、

(本当にすみませんでした)

私の塾の青いバッグにはうんちをした。

(トイレシートが青いので、それと見間違えたんだろう)

我が家では「賢いね~!青いから分かったんだね~!」と褒めた。

(褒めて伸ばす教育…?)


 

ドッグランに行ったら他の大型犬にビビりまくって、

人生2回目のお散歩では猫パンチを食らって秒速で猫恐怖症になっちゃった。

 

漢字ドリルやピアノの楽譜はガジガジに噛まれ

一瞬で世界でひとつの、味のある形になった。

小さい頃から使っていたぬいぐるみは、お下がりでスコットのおもちゃになったけど

これもまた見るも無残な具合に、中の綿が吹き出していた。

ボタンを押すと「バイバイにゃん」と鳴く猫のミーちゃんも、

いつのまにかしっぽがなくなり、声も出なくなり、本当に一瞬でバイバイにゃんであった。

くまのハニーちゃん(と名付けた気がする)も、我が家のぬいぐるみ界では長寿であったけど、

スコットのお気に入りとなった途端、ノックアウト。一晩で目と鼻がなくなった。

父が夜な夜な針と糸を持って”手術”していたのを何回も見かけたことがある。

 

チーズが大好物で、その言葉を聞くだけでも舌をぺろっとして、目を輝かせてこちらを見る。

 

表情が豊かな犬だったなぁ。

全力でしょんぼりするし、全力で喜ぶし、

全力で走って、全力で寝る。

スコットみたいな人生を送りたいと何回思っただろう。

 

そうそう、私は寝る時に手首を折り曲げる癖があって、

そうしないと安心して寝れないんだけど

スコットも同じような癖があってびっくりした。↓

 

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ベッドの上で一緒に川の字になって寝たり、一緒に遊んだりして

私と妹は、スコットと一緒に成長した。

「喧嘩は犬によくない」

親にそう言われ、喧嘩しないようにしようね、と指切りげんまんして決めたのがついこの間のようだ。

 

灰色の服が増えたのも、スコットと遊んだ後に白い毛がつくのを目立たないようにするためだった。 

スウェーデンに留学した時も、インドに半年間行っていたときも、

持ってきた服にスコットの毛がちょこんとついていたとき、

「ここまで付いてきたんだねぇ」と大事に指でつまんでいた。

ふにゃっとしたそのスコットの一部を見つけては勝手に元気をもらっていた。

 

スコットは、いつも耳で感情を表現していた。

こわい、安心している、緊張している、嬉しい、怒っている、

喜怒哀楽とその他の感情が、耳の角度で分かるようになった。

 

私はその大きな耳が大好きだった。

ビロードのようにふわふわで気持ちよくて。

そして色んな声を聞き分けることのできる、立派な耳だった。

 


 

そんなことを思いながら、耳をなでていた。

 

 

だんだん温度がなくなって、固くなっていく。

ぎゅーっと抱きしめても、ぐうっと鳴らす喉の音も聞こえない。

お腹に耳を当てても、心臓の音は聞こえない。

肉球はひんやりと冷たく、

目は半開きのまま宙を見つめていた。

 

鼻をスコットの体に埋める。

スコットのにおいを吸って、吸って、吸って、

息と一緒に声と涙が出た。

 

4人でスコットを囲って、名前を呼んで、

とことこと歩いてきたら全力でハグをした日から13年後。

 

全く同じリビングの真ん中で、

4人でスコットを囲って、同じように名前を呼んでいた。

もう戻ってこないと分かっていても、呼び続けた。

ハグをして、かすかな体温を感じながら、まだ生きてるんじゃないかって期待を込めながら、体をさすって名前を呼んだ。呼んでも呼んでも、足りなかった。

 

目の前で、生きているものが死んでいく残酷さと、何もできない無力さ。

色がすっとなくなり、白黒の世界に入り込んでいくような感覚。

私はこの先の人生で何度味わうのかな、これを。

 

それがとても怖くて、寝れなくて、夜に妹と話した。

 

「死」ってなんだと思う?

「死ぬ」ってどういうこと?

 

肉体が物理的になくなったときに、死ぬのか。

生物としての活動がとまった時に、死ぬのか。

価値がなくなった時に、必要とされなくなった時に、死ぬのか。

 

肉体は生きているのに精神が死んでる人もいる。

逆に、肉体は死んでるのに精神がこの世で生きてる人もいる。

 

「生き物って死んだらどうなるの?」

 

子どもの頃に親に聞いたことがあるこの素朴な質問を、今の自分に問いかけた。

正直、死を目の前にして、すぐには起きている事象を理解できなかった。

だから自分の中で定義付けをしなきゃ、死を受け入れられないと思った。

私は、今まで感じたことのない焦燥感に駆られた。

 

色んな概念をかき集めようとしたけれど、

でも、答えはすぐに出てこなくて。

「死」という大きくて重い鉛を、

言葉という手段を使っても、どうしても分解できず、

ただ苦しかった。

 

そう話してたら、妹にこんなことを言われた。

 

「死ぬってことを頭で定義しなくていいんだよ、

死を前にした時に、悲しいと思っていること、

恋しいと思っていること、生きていることに感謝していること、

それを自分で感じていたら、いいんだよ」

 

…救われたなぁ。

 

ただただ、悼む。

いのちのぬくもりを、恋しく思う。

 

死を前に何を思えばいいか分からなかった私の心に、

妹の言葉はすとんと落ちてきた。

 


 

スコットは、幸せだったかな。

私はスコットと家族になれて、とっても幸せだったよ。

 

天国でも猫になめられちゃだめだよ。

柴犬とは相性悪いから気をつけてね。

よく仲良くしてくれたコーギーのかいちゃんにもよろしくね。

大好きなチーズ、たくさん食べれるといいね。

 

 

そんなことを思いながら手を合わせ、次の日お葬式を終えた。

  

スコットが残したスコットの生きた跡を見ると、胸がぐっと締め付けられる。

破った壁紙とか、いつも使ってた毛布とか。

ついつい、スコットはどこだーと帰宅すると姿を探してしまう。

そして、あ、もういないのか、と気づく。 

会いたいな、とつぶやいてしまう。

 

 

そんなこんなで、時間は過ぎた。

世界はいつもどおり動いていた。

 

毎年新年の始まりには抱負を考えているのだけれど、

今年の抱負は

 

「毎日を、丁寧に、生きる。」

 

です。周りの人に生かされていることに感謝して、

スコットが生きることができなかった今日を、生きよう。

って、思います。

 

人間としてまだまだだけど、精進しなきゃーー

 

 

 

死ぬってどういうことか、答えはないし人の数だけ定義はある。

 

でも、スコットが家族の記憶に在る限り、

スコットはずっと生きてるんだろうなと、思います。

 

スコットには大切なことをたくさん教えてもらいました。

 

死ぬことを考えるのは、

生きることを考えることでもあるのかもしれないなぁ。

 

明日も生きるぞ

 

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

みなさんにとっても、明日がよい1日となりますように! 

 

インドから帰国しました!

 

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久しぶりの投稿です!

インドから日本に帰ってきました、高橋です。

休学期間を終え、先週から無事復学しました! 

 

ごはんを頼む時、

「これスパイシー?」

「レススパイスね!」

「ノースパイスプリーズ‼(叫び)」

って言わなくていいんだなぁ、日本では!

 

全身全霊かけて辛いものを受け付けない私は、スパイス大国インドでだいぶ参ったけど、でもあのなんとも言えないスパイスが、すこーしだけ恋しかったりする。

 

 

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住んでいた家の近くのカレー屋さんで、辛くないと言われたカレーが激辛で一瞬フリーズした時の写真

 

 

5ヶ月前に、インドに飛び立つ私の背中を押してくれた春風も、今はキンモクセイの香りを乗せた秋風になって。

高めの位置で結んだポニーテールは、重みを増して。

手帳の残りの空白のページは、少なくなって。

地面に描かれた自分の影は、長くなった。

ふとした瞬間に、時間の流れを感じています。

あっという間だった、インド滞在。

 

 

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インドから帰ってきて、日本がすっかり秋になっていて驚きました。

秋に ”出くわしてしまった” 感がすごい。

あわてて長袖を買い、ゼミ合宿に行って、

満員電車に乗り、大学に行って、

久しぶりにひとり映画をし、マスカラが落ちるほど泣いて、

友達に会い、美味しいごはんを頬張って、

近況報告にバンバン花を咲かせてたら、

帰国してから2週間が ふゅんっっっっ て過ぎた。

F1レーサーが眼の前を通り過ぎる時の音)

 

 

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「平成最後の夏休み」というパワーワードにハッシュダグがつき、浴衣や花火、プールやカラオケ、飲み会におしゃれなカフェ、BBQの煙越しに見える景色でSNSが埋まって。

 

いいなぁ楽しそうだ夏だ〜とカラフルな画面を人差し指でなぞりながら、

はて、私はインドでエンジョイできているのだろうか…

と考えたこともあったなぁ。

 

 

気温44度。あついを通り越して痛いインドの日差しを浴びながら、

香辛料が混じった空気を肺いっぱい吸って、吐いて、

アスファルトに映し出された自分の影を見た日を鮮明に思い出す。

その影が短くて、小さくて、自分もまだまだだなぁーーって悔しく思ったっけ。

  

 

鳴り響く街のクラクションに押しつぶされそうになって、追い打ちをかけるようにお腹が痛くなって、スコール降ってきたけど傘持ってない、はぁぁとりま一回ガンジス川に流されたい…と心から思ったこともありました。笑

 

 

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めげそうで、くったくたの空芯菜みたいになった時。

前を向くためにやったことをいくつかここに書いておこうと思います。

 

 

1つ目。目的と初心に向き合って、今の気持ちを言語化する。

 

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私はなぜ半年休学してインドに来たのか。

どういう自分になりたくて、何を得たくてインドにいるのか。

 

初心が書かれた日記のページを見て目標と今の自分のギャップを感じては、凹んだり、肺が口から出るくらいのため息をついたり、もうどうしようもなくなって涙が出てきたり。毎日がエンジョインド!ってわけではありませんでした。でも、今となっては楽しいだけで終わる休学じゃなくてよかったと思います。

 

自分に足りないものを感じる機会がインドではたくさんあって、それを日本の生活で頑張るバネにしていこうと思えるのは、インドに来た目的とわくわくと不安が入り混じったあの初心を忘れないようにしたからかもしれません。

 

 

2つ目。とにかく人と話す。

 

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何にモヤモヤしているのか、書くだけじゃなくて話して、自分の言葉を自分の耳で聞くことで、新しく発見できることも多々ありました。

 

インドで話を聞いてくれた方、時差がある中日本や日本以外の国でも電話に付き合ってくれた心広い方、本当にありがとうございました!

 

 

3つ目。チャイを飲む。

 

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チャイは、美味しいです。インドでチャイラテ大好きになった!

ほっと一息つけるし、ジンジャーが入っていると身体があたたまるのでなおよし。

 

 

 4つ目。嬉しかったことリストを作る。

 

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これは、スウェーデンにいる時もやっていたのですが、とてもよきです。

1日10個以上、嬉しかったことやきれいだなと思ったものをどんな小さなことでもいいから書くというもの。

 

超低空飛行なテンションで、うつむいて凸凹の道を歩いていたとしても、

「あれ、今日はギリギリ牛の糞踏まなかった!」

という小さなラッキーに気づくことができたら、もううつむくことはないです。

 

 

「たまたま近くの寺院のお祭り見れた」

「今日は停電しなかった」

「ビジネスで大事なことひとつ学んだ」

「タスクをすべてこなせた」

「リキシャのおじちゃんが優しかった」

「近所の豚が7匹の子豚を産んだ」

 

 

そんな小さな「ラッキー!」「やった!」が積み重なると、ぐぐぐっと”幸せに気づく力”なるものが高まる気がします。

毎日10個小さな幸せを集めて、10日もすれば100個の幸せに囲まれている。気づけたもん勝ち。

すごいポジティブになれるから、おすすめです☺

 

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道端に牛がいる日常。たまにリキシャと衝突事故を起こすらしい

 

 

そして、インドで大事にしていた言葉が

”Enjoy it because it’s happening”

 

 

今もう起こってることなんだから、楽しもうよ。楽しむしかなくない?

 

楽しむ理由は、ただただ“今”があるからってことに尽きる。今起きてる事象を受け入れてこう!

 

いろんな解釈があると思いますが、こんなニュアンスでしょうか。

 

インドに到着してすぐインドの洗練を受け、

ベッドの上でもがいていた時も、この言葉に割と助けられたかも。

 

停電で冷房がとまったら、天然サウナを楽しんで、

ウーバーの運転手が道を間違えたら、新しい道を開拓したと思って、

空からなんか降ってきたら、ひょんなところからのサプライズギフトだと思って、(インドではたまに何かが降ってくる)

思いもよらないことが起こったら、今ここで自分の行動が試されている…!と思えばいい。

 

このマインドセットに切り替えるのはもちろん簡単ではないのだけれど…!

 

いかに置かれた環境で楽しむか。

いかに自分の機嫌を自分でとれるか。

 

そんなことを試された機会でもありました。

インドは全力でキャパシティを広げてくれる国だったな。

 

 

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そして、最後。ご縁に感謝する。

 

インドで新しい価値観と世界を見せて下さった方、ありがとうございました。自分が社会にどのような価値をもたらしているか、誇りを持って話して下さって。模索しながらパッションを持って新しい挑戦にわくわくしている人にたくさんお会いしました。短い時間ではあったけど、一緒に働いた仲間には、本当に感謝しています。お腹よじらせて笑った時間を思い出すだけで、元気になれます。

 

何事もご縁。

インドでお会いした方、またきちんと日本でお礼させて下さい!

 

どんな出会いにもちゃんと感謝できる人でいたいと思う今日この頃です。

 

そして、インドで頑張れって背中を押してくれた親にも、ありがとう。実際インドに来てくれて、インドの新たな側面を見て喜んでたなぁ。一緒にゆっくりと時間を過ごせたのはいい思い出です。

 

 

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日本で新しく始まる生活に、不安も期待もあるけど、

ほんのちょっとのスパイスを日常に入れつつ、やっていきたいと思います。

 

 

ああお腹もいいかんじ。明日もみなさんにとっていい1日になりますように!