Canon越しの世界

自分の目とカメラを通して、日常をゆるく発信していきます

ターミナルで

 

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忘れもしません。

9月10日。日もとっぷりと暮れた、夜の10時。

今まで味わったことのない感覚を、私が味わった日。

それは、私の中の偏見が消えた瞬間に、立ち会った日でした。

  

 

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話はさかのぼり、6月の下旬。

 

タンザニアに来る前に、ヨーロッパをバックパックしていた時。

パリやブリュッセルで見た黒人の人に対して「こわい」と思っていたこと。

無条件にそういう感情を彼らに抱いてたこと。

それに気づいてしまった時、自分に対してものすんごい嫌悪感が襲ってきて、号泣したんです。

 

スウェーデンに留学して、いろんな人と会って、友達になって、人種とか国籍とか文化背景で人を差別・判断するracistって、なんなんだって思っていた。

彼らの思考回路が理解できなかった。

理解できないと思っていた。

 

なのに、人をこうやって見た目で判断している自分がいて。

人種差別をしている人たちと同じ思考回路を自分も持っているってこと

本当にショックで、泣いて泣いて泣きまくった。

 

 

思い切って、ポーランドユースホステルで、

私はパソコンの画面に映る人に、勇気を出して、自分の気持ちを打ち明けてみた。

 

私はこれからタンザニアに行くというのに、

黒人の方に対して「こわい」という感情を抱いていていいのかな。

うまく言語にできないんだけど、とっても自分が嫌だ……

 

ってことを、泣きじゃくりながら話した。

 

 

画面の向こうで

 

「こわい」って感情を持つことは別に悪いことじゃないよ。

その感情を否定するんじゃなくて、なんでそのような感情を持ったのか、考えてみるのが大事なんだよ。

 

って言ってくれた、ひとりの大人がいたんです。

タンザニアでのプロジェクトでいろいろ相談に乗ってくれていた方でした。

 

この言葉に、私は救われました。

足も届かない深い海で溺れている私を、ゆっくりと引き上げてくれたような言葉でした。

 

 

言葉って、すごいなぁって思います。

遠くにいても、画面越しでも、平面の上で活字になっても、

心に届いたら、ものすごく力になるからです。

 

私もそういう言葉を紡げる人になりたいなぁと思う今日このごろです。

 

  

 

じゃあ、私はなんで、こわいって思うんだろう。

そういえば、なんでだろう

 

 

考えた結果。

 

知らないから、こわいんだ。

 

って結論になりました。

 

 

じゃあ、とことん、知ろう。

 

 

初めてのアフリカである、タンザニアに行ったら、

たっくさん友達作ろう。

現地の人と、とにかく仲良くなろう。

誰よりも多くタンザニアの人としゃべって、価値観を共有して、文化を知ろう。

 

これが、ひとつの目標になりました。

タンザニアの学校や教育制度を学ぶことだけじゃない。

自分の中のもやもやを消すためにも、1ヶ月半でどれだけ現地化できるか。

これにかかってるな!

 

この涙を絶対無駄にしちゃいけないな。

 

って思ったんです。

 

 

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そんなことを決めてから、丁度1ヶ月後。

 

私はトイレの鏡に映る自分の姿を見ていた。

 

長いフライトの後で、顔もむくんでる気がする。

わくわくと、不安とが、入り混じっている、なんとも言えない顔をしている。

バックパックが、なんだか大きく見える。

あぁ。こんなちっぽけな自分が、ひとりでついにここまで来てしまったんだなぁ。と思いながら、歯磨きをしていた。

そして、水道水を口に含んだ時、水道水は絶対飲んじゃだめだと言われていたのを思い出し、「やばいっ、ここの水って安全なんだっけ?!」って瞬時に吐き出した。

 

変に心臓がどくどくしている。

 

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私は、タンザニアに行く飛行機に乗り換えするためにエチオピアアディスアベバ空港にいました。

その空港はアフリカで有数のハブ空港で、いろんな便が世界中に飛んでいます。

アジア人はほとんど中国人だった。ヨーロッパからの人もたくさんいた。

とってもインターナショナルなんです。

 

でもwifiが全然つながらない!

エチオピアの人に聞いたら、「下の階にあるターミナルに行けばあるよ」って言われので、言われたとおり行きました。

 

そのターミナルからはどこ行きの飛行機が出ているんだろう。

案内画面を見たら、全部アフリカ内の国だった。

 

 

エスカレーターを降りて、てくてくスマホ片手に歩いていたら、エスカレーターの方を向いて椅子がずらーーーーっと並んでいる待合室があって、座っている人はみんなアフリカ系の方でした。

 

エチオピアの空港だし、そこでは当たり前の光景なんだけど、でも、ちょっと、びっくりした。

 

薄暗い中、白い目だけが浮かび上がってて、みんなが私のことを見てる。

見てる。見てる。えええすごい見てる。

 

 

 

 

 

こわい。

 

 

 

 

 

と思った。

 

思ってしまった。

 

体がぎゅっとこわばり、足が動かない。

 

ふっと金縛りがとけたような感覚を覚えて、

あ、wifiと思いながらスマホをいじったけど、wifiはつながらなかった。This is Africa!)

 

下のターミナルで持った「こわい」という感情。

 

まだ私は知らないからしょうがない。ってどこかで思いつつ、

なんだか悲しくなって、苦しくなった。

グミをちまちまと食べながら、

タンザニア行きの飛行機を待っていました。

 

 

そして、このエチオピアの空港のターミナルで今、自分が感じたことを、大事にしようって思いました。

 

 

これが7月の下旬のことだった。

 

 

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そして、約1ヶ月半のタンザニアの滞在を終えて、帰国する9月10日。

 

行きと同じで、エチオピア乗り換え。夜の10時。

 

私は、まったく同じ下のターミナルに行った。

そういえば下の階は通じるんだっけ。

wifiが通じないこと、すっかり忘れてた。

 

そして、エスカレーターを降りて、周りを見回した時、はっとした。

 

wifi通じないんだった!と気づいたわけではなく。

 

 

私、前にここに来た時と全然違う感情を持っている!

 

ということに。

 

 

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7月に初めてこのターミナルに来た時と同じで、たくさんのアフリカ系の人がいた。

私に視線を向ける人もいた。

 

でも、最初にこのターミナルに来た時に感じた「こわい」という感情が、その時には全くなかったんだ。

 

私の頭には、タンザニアで出会った人が、浮かんでいた。

そして、「またここに帰ってきたいなぁ」と思っていた。

  

 

出会ったたくさんの学生。

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私の授業に真剣に参加してくれた生徒たち。これは地理の授業!

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いつもおいしいウガリを作ってくれたお母さん。

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アメを買うたびに仲良くなった道端のおじさん。

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電気もガスもないお家で幸せそうに暮らすマサイ族の家族。

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高校の視察をしたいって言ったら二つ返事で案内してくれた先生。

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村で一緒にジャンプしたマサイ族の女性たち。

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サファリでガイドをしてくれた博識なおっちゃん。

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一緒にピキピキ(バイク)に乗ってぎゃーぎゃー騒いだ友達Witnes。

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彼女のお家にもお邪魔した。

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家族の絵を描いてくれたマサイ族の村の子ども。照れ屋さんだったなぁ。

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 私が困っている時にピキピキに乗せてくれた安全運転おじちゃん。

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いつもハイナシダ〜(大丈夫)って言ってくれるおばあちゃん。

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フレッシュな野菜や果物を売っていた村のお母さんたち。

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折り紙を教えたら、私にたくさんのスワヒリ語を教えてくれた先生。

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ホームステイ先でたっくさん助けてくれたホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃん。

孤児院を建てた、もともと孤児だったお父さん。

道でジャパーーン!!!って言いながらハイタッチを求めてきたおじいちゃん。

財布忘れた時、私が払うからバスのお金は払わなくていいよって言ってくれたお姉さん。

結婚しよーーーう!!!って握手してきたおもろいお兄さん。

 

 

たーーくさんのタンザニアの人に会い、友達になり、話し、笑い、そして別れを惜しんで泣いて。

 

タンザニアという国で生きる人、アフリカ大陸という日本からは遠い土地で生きる人を知ることができる機会を得て。

 

 

ターミナルで、隣に座っていた人とスワヒリ語でちょっとだけ会話できた時、嬉しくて、嬉しくて。

 

自分の中で、なにかがちょっと変わった。

 

 

そして、私の中の偏見が、ひとつ。

しゅわーーーっと小さな音をたててなくなった瞬間を、味わったんです。

 

 

あぁ。こうやって、偏見はなくなるものなのか。

 

 

それだけタンザニアと関われたんだな。

って思えたんです。

 

 

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飛行機で、隣になった人がマリの人でした。大使館で働いているらしい。日本が大好きで、日本語もぺらっぺらでした。

後ろに座っていた人は、ウガンダの人でした。ウガンダの農業を変えたくて、奥さんと子どもをウガンダに残して、日本で灌漑技術を学んでいるんだって!

 

 

飛行機の中。

エチオピア人とタンザニア人との違いも、ひと目で分かるようになったなぁ!

エチオピア航空のまぁまぁおいしい機内食を頬張りながら思った。

 

 

 マサイ族の村で会った人。携帯電話で好きな人とお話してるんだって!素敵。

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最近、思うんだ。

現地に行って、自分の五感で知ることって本当に大事だなぁと。

そして、偏見は絶対悪と思っていたけど、偏見はあって当然なのでは、と思います。

 

でも、偏見がひとつなくなるだけで、見ている世界はだいぶ違ってくるんじゃないかなぁ。

タンザニアに行って、偏見が消えていった瞬間を体験して、そう思います。

 

 

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世界ががらりと変わるというより、世界が優しくなる、そんなかんじ。

 

 

その国にどんな人が住んでいるのか。

その国で生まれた人はどんな生活をしているのか。

なにを信じて、なにを食べて、なにを愛して、生きているのか。

 

 

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どれだけネットで情報を集めても、やっぱり自分の実体験にはかなわない。

 

 

私はこれから生きていく上で、また自分の中の偏見に気づくかもしれません。

でも、その時は、なんでそう思っているのかな、って問いながらもっと知ろうとする努力をしようと思いました。

 

暗黙知をしっかり言語化してくのが大事だなぁと、私が尊敬するしげさんって方から学びました!ありがとうしげさん!

 

 

なんとなくこわいという感情を持ったまま、知らないことを知ろうともせず、偏見にまみれていることの方がよっぽどこわい。

 

 

自分の中の偏見は、自分でしか、壊せないから。

 

自分には偏見があるということをまっすぐ認めて、受け入れて、行動して、関わって、話して、聞いて、笑って、泣いて、変えていけるのは、自分しかいないんだなぁ。

 

 

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「私はracistなのかも」ってショックを受けたこと、そしてこわいという感情を持っていたことをネガティブに捉えるんじゃなくて、それをどのようにポジティブなものに変えていけるかなって考えなきゃだ。

 

 

ポーランドで流した涙は、ゆっくりと頬を伝って、タンザニアでえくぼに変わりました。

 

 

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Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

- Albert Einstein (アインシュタイン) -

 

偏見のコレクションを一回捨てて、まっさらでピュアで、生まれたての赤ちゃんみたいな視点で世界を見ることができたら、どれだけ楽しいんだろう。って思うんです。 

 

 

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これは飛行機から見えたキリマンジャロ。凛々しく雲を突き抜ける姿は、圧巻でした。

右のほっぺたで傾く夕陽の熱を感じながら、いろんなこと考えたなぁ。

 

 

まずは、知ること。学ぶこと。

たくさんの人と関わって、たくさんのものを好きになること。

 

これは、人生をかけてずっと大切にしていきたいことです。

 

 

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長い文章をここまで読んでくれた方ありがとうございます…!

寒くなってきましたね!おでん食べたーい。

 

明日もみなさんにとっていい1日になりますように。

 

 

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生の血を飲んで、いのちについて考えた話

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ごくんと、つばを飲み込み、息を吸って、吐いて、

心の中で「いただきます」と唱えてから。

私は人生で初めて、ヤギの血を飲みました。

 

私にとって、生きることを考えるのに必要な、本当に貴重な経験。

 

 

今回は、そのマサイ族の村に行ったときのことを書きます。

 

正直、いろいろ刺激が強すぎました。

 

しばらく書こうか迷ってたんだけど。

あの時の感覚を忘れたくない、ちゃんと言語化しなきゃ!って思って。

 

言語化するのそんな得意じゃないからものすんごい時間かかっちゃうけど、雨の音を聞きながら、ゆっくり書いています。

 

 

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とっても綺麗な服を着ています。村のみんながお出迎えしてくれました。

 

 

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お家はこんなかんじ。もちろんガスも電気も水道もありません。

なんとこのお家、セメントと牛の糞で作られているんだよ!

 

 

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暖をとったり調理するために部屋で火を焚くのですが、その煙がのぼって、天井に溜まって固くなったものを棒で削ると、こんな土みたいなのがほろほろと落ちてきます。これをマサイの人は、胃薬として飲むらしい。

効くのかなぁー。

 

 

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女性は耳たぶに大きな穴があいていた。

ビーズで作ったアクセサリーをたくさんつけます。

耳の穴は、小さい頃に開けて、それを時間をかけて広げていくんだって。

穴にプレートのようなものを入れて、その大きさをどんどん大きくしていく。

文化によって、なにを美しいとするか、かなり違うんだなぁ。

 

 

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私も耳に実際に同じものをつけてみたんだけど…

 

重すぎぃぃぃぃ!!!!

 

耳たぶ引きちぎれるわ!

 

写真の笑顔は、ほんとはめちゃくちゃ引きつってます。

 

 

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首につけている土星の輪っかみたいなのと、ネックレスが当たって

軽くジャンプすると、シャンシャンってタンバリンのような音が出る。

ジャンプしながら、みんなで一緒に歌います。

 

 

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みんな踊って歌って楽しそうだなぁって見てたら、「おいで!」って手を引かれ、あったかい笑い声に包まれながら、みんなに囲まれて一緒に踊った。よくわからないまま、手をつないでジャンプし続けた。

 

 

めっちゃ楽しかった。

 

 

 

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そんなかんじでわいわいしてたら、

 

「ヤギがとれたぞ」

 

って声がかかった。

 

ぞろぞろと男の人がいるところに行く。

 

ヤギが、横たわっていた。

 

 

マサイ族の人がその動かなくなったヤギを取り囲んで、ナイフで綺麗に捌いていく。

皮をすーっと剥ぐと、その下に半透明の膜があって、それを破ると真っ赤な内臓が見えた。

内臓を素手で取り出し、器にほいほいと入れていく。手術しているようだった。

 

本当に真っ赤だった。

 

 

この生の肉を、そのまま食べるんだ、マサイ族は。

 

 

その光景を見るのは人生初めてだった。

気がついたら眉間にしわが寄っていて、顔がこわばっていた。

 

こういうのはグロいな、って目を塞いでしまう私だけど、頭のどこかで、しっかり見ておきたいとも思っていた。

 

2メートルくらい離れたところから、一部始終を見ていた。何回も顔が歪んだと思う。

 

内臓を取り終えてから、マサイ族の人が血を飲んでみたい人ー!って私たちに聞いた。

周りにも欧米系の人がいたんだけど、

oh my goodness definitely NO って声が聞こえた。

誰かは小さな声で 野蛮だわ って言ってた。

 

 

マサイ族の人はこの血を飲んで生活しているんだよなぁ。

どんな生活しているか目の前で見ていて、経験できるチャンスがあって、これを逃すのはもったいない。

 

そう思って、数歩前に出て、2メートルの距離を縮めた。

 

はい!私、飲んでみたいです。少しだけで大丈夫です!ほんとに、すこーしだけで。

 

ただひたすら「キドーゴ!(少しだけ)」と言ってたら、「ハイナシダ~(大丈夫)」とマサイのおじちゃんは茶色い歯を見せた。

 

マサイの人が小さなプレートを持ってきて、それでヤギの体の中にたまった血をすくった。

 

一口くらいの量の血は、少し赤黒くて、どろっとしていた。

一気に飲もうか、ちびちび飲もうか。

 

未知なるものを目の前に鼓動がどんどん速くなるのを感じながら、ゆっくりとプレートを唇のもとに持っていった。

 

 

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唇が血と触れ合った瞬間、重みを感じた。

 

そして、びっくりした。

 

 

 

 

 

あったかい。

 

 

 

 

体温だった。

 

 

 

いのちだった。

 

 

 

 

ただただ五感で、味わっていた。

 

 

 

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さらさらしたものではなく、例えるなら濃厚なポタージュみたいな感触。

舌の上が、錆びた鉄の味でいっぱいになる。

匂いはそこまでない。臭くない。

ちょっぴりスモーキーだなと、息を吐いた時に鼻の奥の方で感じる。

勇気を出して喉に流し込んだ時、数滴の血が、喉の壁をゆっくりと伝うのを体全体で感じていた。

 

 

とっても、不思議な感覚だった。

 

生きた血が、体に入っていく。

 

 

ごちそうさまでした。

 

少し先に見えるヤギを見て、そう思った。

 

一口の血をいただいた後、体で感じていたことを、頭がいろいろ処理しようとしてたけど、あんまり追いついていかなくて。

 

ぽけーーっと、砂漠に舞い上がる砂埃を見てた。

 

ずっと胸はドキドキしてた。

 

 

口の中がしばらく血の味がしたので、水を口に含んで吐き出したら、普通に真っ赤な水が口から出た。それを見て、ぎょっとした。

 

 

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マサイ族の人の自家製ミルクティーを飲みながら、マサイ族の方とお話した。

 

ヤギや牛を毎日遊牧する生活について。生まれてから、死ぬまで。

ずっと、遊牧と狩りをして過ごす。

たまにキリンを狩ることもあるんだって。

キリン1頭で、村全体で1週間は生活できるんだって。

ライオンを狩ると、勇者のしるしがもらえる。

ガゼルとかヤギとか牛とかを狩っても、しるしはもらえないらしい。

そのしるしっていうのは、腕にあって。

どうやってこのしるしを付けるの?って聞いたら、

赤くなるまで熱した鉄の輪を、じゅぅっっと腕に当てるだけだよ!ハハハ

って、自慢げに腕に残るそのしるしを見せてくれた。

 

どれだけ強い男なのかは、どれだけ狩りをしっかりできるか、で証明できる。

だから、とっても大事なしるし。

 

 

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私もそのしるしある〜!

って自分の腕にあったハンコ注射の跡を見せて、ケタケタ笑い合ったのはいい思い出。

 

まさかこんなタンザニアの奥地でマサイ族との共通点になるなんて、ハンコ注射の跡自身、絶対思ってなかったよね。笑

 

 

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ぴょんぴょん跳ねる、マサイの人。

 

 

いろんな感情がぐるぐるしながら家に帰った。

同じホームステイ先にいるヨエルっていうスウェーデン人に、ヤギの血を飲んだんだって言ったら

 

WTF なんでそんなことしたの? You are way too brave..... (ドン引き)

 

って文字通り目をまんまるにして言われた。

 

because life is short

人生は短いから。

 

答えはこれに尽きる。

 

 

「僕みたいな毎日病院で働いている人は、血が一滴でも自分についたら終わりだから、血がどれだけの病原体を運んでいるか知ってるから、もう考えられないよ。血を触る、ましてや飲むなんて!」

 

その上に、彼はタンザニアではベジタリアンなんです。肉も魚も食べない。

スウェーデンではビーガンだから、卵も乳製品も食べない。

動物が関わっている食べ物は一切口にしないんです。

I just don’t like killing って言ってた。

 

 

彼がマサイ族の村に行った時の経験を話してくれた。

 

「僕は肉を食べません。」

 

って村で言ったら、マサイ族の人みーんなびっくりして、「じゃあ何を食べてるの?」聞かれたらしい。

野菜だよって答えたら、不思議がられたようで。

肉以外に食べるものはないでしょう?って聞くマサイ族の人に

「じゃあ牛は何を食べているの?野菜だよね。牛を殺す代わりにそれを食べればいいじゃないか」

って言おうとした時、「これは価値観の押し付けだ」って気づいて、結局何も言わなかったんだって。

 

 

ちなみにマサイ族は、動物の肉と、血と牛乳で、生きています。(動物は主に牛)

野菜はほとんど食べません。

 

 

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これはマサイ族が牛乳を入れるのに使っている水筒。

ひょうたんから作られているよ。

私たちが飲んでる牛乳は低温殺菌されているけど、マサイ族は普通に牛乳を殺菌せず飲んでいます。お腹を壊すことは、まったくない!

 

 

彼と、ビーガニズムのことについて話した。

この世界には、飢餓で苦しんでいる人が何億人といる。

そんな中、私たちは牛に与えるためだけに穀物を育てて、牛を食べている。

その穀物で、どれだけの人間が救えるか、考えたことある?

って話をしたんだ。

 

そして、私がスウェーデンに留学していた時、4ヶ月くらいベジタリアンだったことも話した。

 

20歳の誕生日を境に、ベジタリアンになってみよう。って思って、なってみたんです。

ベジタリアンになった次の日にケバブをうっかり食べてしまって、この上ない罪悪感に苛まれたことはここだけの話ですが。

 

 

スウェーデンの大学で取っていた、Critical Animal Studiesっていう本当に面白い授業で学んだのがきっかけでした。

 

動物を、社会学、心理学、歴史学、経済学、自然環境学、人科分類学…etcの観点からクリティカルに考えてみようというもので、かなり学際的な新しいフィールド。

一緒に授業を受けている人は、ベジタリアン、ビーガンだけでなく、獣医さん、お母さん、心理学専攻の人、インド文化を学んでいる人、学校の先生になりたい人もちろん留学生も取れる授業なのでとっても国際的で、バックグラウンドも様々でした。ちなみに教授2人はビーガン!

 

その授業でたくさんのドキュメンタリーを見たりや論文を読んだりして、不都合な真実を突きつけられたんです。

 

ホルモン剤を打たれて、身動き取れないケージの中で、ただひたすら人間に食べられるために生産されている動物たちがいること。

 動物を育てるために莫大な水や飼料が消費されていて、それが環境問題につながっているということ。

 飢餓で死ぬ人がいる一方で、肥満で死ぬ人がいるということ。

 

その他にもいろいろありますが、上記またはそれ以外の理由を考慮して、ベジタリアン・ビーガンになる人がいます。

 

ベジタリアンとかビーガンっていう異文化を体験してみて、新しく見える世界がありました。

 

価値観がガラッと180度変わったわけではないけど、その4ヶ月、栄養のことをもっと考えるようになった。いのちが、この資本主義経済の中でどう扱われているのか関心を持つようになった。

 

肉を食べない代わりに、どんな栄養素が足りていなくて、どんなものを食べたらいいのか。ファストフードのお肉は、どのようにして作られているのか。お肉を増やすために動物たちはどんな薬を体に打たれているのか。

 

 

最後の論文では、私がベジタリアンになると決めてから、どのように世界に対する考え方が変わったか。そして体が変わったか。その軌跡について、日本の食文化の変遷を交えながら書いた。

 

 

私たちが日常で口にするお肉の大半は、命ではなく、「モノ」として、工場で生み出されているんだなぁ。

 

残忍だと思われてしまうところは、消費者には見えなくなっている。

 

その綺麗にトリミングされて闇に葬られた部分を、直視することなく、私たちはスーパーでパックに入っている整った肉を手に取る。

 

そんな世界に住む私が、ヤギが1頭、村の中で殺されて捌かれているのを見て、「グロい」「かわいそう」「残忍」とかよく言えたもんだ。

 

工業化された、殺すために牛を人工的にぶくぶく太らせる文化の方がよっぽどおそろしいんじゃないか、って思ったりした。

 

 

マサイ族の、動物を食べる文化。

資本主義化された世界で生きる私たちの、動物を食べる文化。

同じように、動物を食べている。

どっちがいいとか悪いではなくて、ただ違うだけ。

 

でも。

 

マサイ族の人たちの、牛を大事に育てて、牛の肉を食らい、血を飲み、皮はカーペットにし、骨はアクセサリーにして、糞を固めて家を作り、時には牛を貨幣として物々交換する文化を見てから、

いのちを大事にするその姿を見てから、

私自身が、生きている血を口にしてから、

 

しっかり、いのちに感謝して、いただかなきゃ。

 

子どもの頃から教わってきたことけど、

この実体験を通して、そう心から感じたんだ。

 

いのちを食べて生きていく上で、この経験は、絶対忘れちゃいけないな。

 

スウェーデンで学んだことが、タンザニアでの経験に繋がった1日だった。

 

 

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夢が叶った瞬間。

ヤギの血を飲んだあと、マサイ族と一緒にジャンプした!

なんかすごく高くジャンプできたような気がしたんだけど、ヤギの血のおかげ…なのかな?

 

 

あーーーーすごい時間かかったけど、書けてよかった。

達成感!今の気分はこんなかんじ↓

 

明日も、いい1日になりますように。 晴れるといいな。

 

 

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