どうやったら成長できるのかな
今日は、授業を受け、友達とお昼を食べ、フィーカをし、勉強した1日でした。
いつもポジティブでいたいけど、でもやっぱり落ち込むことも、自分が嫌になることも、どうしようもなく悲しくなることも、ある。
そういうことに直面したときに、どうやってそれを乗り越えていくか、自分がどうやって克服していくのか、を客観視できるプロセスが留学なんだなぁ。って、友達とフィーカしているときに気づきました。
挫折を味わいたい。
って思って来たスウェーデン。
日本のあたたかい環境に甘えていた自分。日本から8000km離れた寒い国で、ぬくぬく温室育ちの自分がガツンとやられるのはいつなんだろうって思ってたんですが、毎日新しい発見に満ちてて、1日にひとつでも発見があると楽しくて幸せになって。(すごい単純な性格…)ネガティヴになることは最近あるけど、これから大きな挫折することはあるのかなぁってふと焦燥感を感じたりしてたんです。挫折しないと成長できないかも、って思ってたんです。今もちょっと思ってるんだけど、はたしてそうなのかな…。
「成長」の定義にもよるけど
人ってどういう時に成長できるんだろう。
挫折しないと、失敗しないと、成長できないのかな。
発見を積み重ねて、内省したら、成長できるのかな。
人によって成長を後押しする要素って違うと思うけど、
私はどうやったら、なりたい自分になれるのかな、成長できるのかな。
もやもや。
一回考え始めると、もやもやループにハマって、気づいたらあつあつのコーヒーもひんやり冷えちゃってた。
小さい時は、立てるようになって、歩けるようになって。
言葉を発するようになって、会話できるようになって。
ものを持てるようになって、文字が書けるようになって、文章を紡げるようになって。
どんどんできることが増えてく。その成長は、親をはじめとする周りの大人が「評価」してくれた。よくできたねって褒められて、嬉しくて、育ったんだろうな。
でも、大学生になって、成長できてるのかなってすごく思うようになった。受験生の時は、模試での自分の成績が伸びることが「成長」だった。限られた時間の中で、ひとつの目標を目指し、成績を物差しにして、自分の成長を測ってた。成長は、数字になって見えてた。そしてその成長を評価されたように思えた、大学進学。
でも、時間がたっぷりあって、目標とか夢とか進路とか無数にある大学生活の中で、自分は果たして成長できてるのかなって思うようになった。今は成長を点数化することなんてできないし、あんまりしたくない。それと同時に、成長の物差しを広くて深い「自由」の泉にぽとんと落とした気がする。そして底の方に沈んでいった気がする。成長が点数としてわかりやすく見えて、先生や親に評価されてた時代が、とっても"いい"時代だったなぁ…って、泉に映る私を見て思ってる、そんなかんじです。
留学してて思うのが、自分の成長は、ちゃんと自分で発見してあげないといけないってことだ。
友達は日本にいた時の私を知らないし、ここには親もいないから、「(前の私と比較して成長したね)」って言ってくれる人や気づく人はいない。自分以外。
つまり、自分を自分で見つめるいい機会!
自分で自分を評価して、自己分析すること、大事。他人と比べちゃうこともあるけど、前の自分から成長するためにここに来たから。
今は、私が、歩けること、会話できること、文章を紡ぐこと、なんて「当たり前」って思われてるし、誰かにその行為を評価されることはないけれど、
どこに歩いて、どんな景色を見ようかな。
だれと会話をして、どんな新しい世界を知ろうかな。
どんな文章を紡いだら、どんな気づきを与えられるのかな。
って、ちょっと深く考えながら、毎日を過ごしたいと思った。そしたら、ちょっとずつ成長できるんじゃないか。挫折とか辛いことなんて忘れたころにあっちからやってくるんだから、私はそれまでちょっと違うところに目を向けようかなぁって思った。
超絶もやもやしながら、飲んだあったかいコーヒー。
今、冷えたコーヒーを舌の上で転がしながら、ちょっともやもやは晴れたなぁって思ってる。
文の論理が飛躍しすぎてる気がしてならないんだけど!
スウェーデンに来てから53日目。
思ってたことを文章化できて、ちょっとすっきりしました。
今まで使ってなかった頭の部分を使ってなんか頭痛いです。笑 ショートしたかんじ。
明日もいい1日になりますように。