Canon越しの世界

自分の目とカメラを通して、日常をゆるく発信していきます

そうだ、12時間後、ラトビアに行こう

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4月の始め。

12ページのレポートがなかなか進まず、部屋にこもってカタカタすること1週間。

とにかくレポート終わらせてからいろいろやろう!と思ってたけど、

なぜか全然書けない。何回ぐへぇって言っただろうなぁ。

 

 

人と会う時間がめっきり少なくなる一方でタスクだけは増えていって、

時間を無駄にしている自分に気づいたとき自己嫌悪に陥りそうになり、

「やばい、これは12月病んだときと同じ道をたどってるぞ」と思った。

 

病んだときのブログを遡り、えーと私はどうやったら元気もりもりになるんだっけな、とまるで自分の取扱説明書を読むような気分で、過去のブログを読んだ。

 

12月はささくれができただけでテンション激下がりしてたんだ!?

谷川俊太郎の「生きる」って詩を号泣しながら朗読してたなぁ

「私ってクズかも!消しカス以上、おがくず以下の人間!」って書いてある…

 

 

こんなふうにブログを読み返すと、けっこう面白い。

 

ずいぶん病んでたなぁーって笑っちゃった。↓これ

 

kanoncanon.hatenablog.com

 

 

その時のブログには、

 

できたことも、忘れずにちゃんと見てあげることも大事!

私は、褒められないと伸びないタイプ。

ちょっと行動して、踏み出して、小さな自信をつける。

自分でしかいいポジティブなサイクルは生み出せない。

 

と書いてありました。ふむふむ。

ここまでレポートよく頑張ったなぁ私、あと半分!(白目)って褒めたあと

うーん、ちょっと他の環境に飛び出していいサイクルを生み出してみるか!

なんて考えてたら気づいたときには新しいタブを開いて、航空券を取っていた。

 

 

行き先は、ラトビア

フライトは、12時間後。

 

 

ラトビアには行ったこともないし、まだ歴史も詳しく分かってない。

知り合いも1人もいないなぁ、そういえば。

てかまだ締め切りギリギリのレポート終わってない。

 

 

 

よし、行こう。

 

 

 

うおおおおおおおおって、レポートをやるときには見せなかった勢いでパッキングを始めた。このエネルギー、もうちょい前から出てきてほしかったよ…!

 

 

何も知らない新しい環境に1人で飛び込んで、

1人でも多くの人と話して、

1つでも多くのこと学んで、

1mmでも自分の世界を広げてから帰ってこよう!

 

 

ということで、バックパックひとつ背負って、

ラトビアぴょいーんと飛んだのでした。

 

 

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ちょうど1週間後に友達とロシアに行く予定があったので、ラトビアから陸路でエストニアに行って、エストニアからヘルシンキまで船で行き、友達とそこで合流して直接また船でロシアに行くことに。ちなみにこの時期はイースター休みだったので、時間はたっぷりありました。

 

 

次の日の朝、デンマークの空港に早めに行き(隣の国に最寄りの空港があるってやっぱりヨーロッパなんだよなぁ)飛び立っていく飛行機を横目に、レポートをカタカタ。

 

飛行機の中でも、約2時間弱カタカタ。

机の上でやるよりもくもくの雲の上の方が、断然はかどる!

 

 

ちなみにラトビアは、バルト三国の真ん中の国。

北はエストニア、東はロシア、南はリトアニアベラルーシ、西にはバルト海

 

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人口230万人、大きさは九州の1.8倍くらいの、小さな国。

公用語ラトビア語なんだけど、国民の30%弱がロシア系で、映画とかラジオ、テレビでもロシア語が使われています。人口の大半は西ヨーロッパ系のバルト人と、ロシア系のスラブ人が占めています。

 

ラトビアは、第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国から独立して、第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領され、1941年、独ソ戦でドイツが占領、1944年にはまたソビエト連邦が占領&併合。1991年に独立して、2004年にはEUとNATOの仲間入りを果たしました。

 

だから、小さい国だけど世代によってはロシア語もドイツ語も英語も話せるという、マルチリンガルな人もいるんだとか。多くの外国企業の進出先にもなっているよ。ほぇ〜

 

ラトビア人にとって、ロシア語を学ぶことは英語を学ぶことと同じくらい(またはそれ以上に)大事みたいで、就職においてもそこまで国際性が問われない単純な仕事でも、お客さんの3〜5割がロシア語を話す人だという。ロシア語が話せることが仕事の条件に入ってることもあるらしい。

 

ロシア語の方が、文献の量も豊富でメディアでも多く見られるんだって。

たしかに街を歩いてた時、ロシア語の表記たくさん見かけたなぁ。

原則として公共の場での広告や案内やメニューは、ラトビア語を使うことが法律で義務付けられてるらしいです!これは教育現場でも同じで、授業の6割以上はラトビア語でなければならないんだって。

 

 

そして歴史を調べていてちょっと驚きだったのが、ラトビアの中で、無国籍という扱いになっている人の数。

ラトビア国籍保有者は約180万人で、外国籍保有者は3〜4万人。そして残りの約45〜50万人のソ連時代から帰化することなく永住してきた移民は、国籍がどの国からも付与されていないんだって。ソ連時代のラトビア国内で生まれて、一回も他の国に出たことがない人も、帰化しない限りラトビア国籍になることはできないし、他の国籍を持てるわけでもない。

 

つまり、国民としての扱いを受けないということになる。

 

 

選挙権が与えられてなかったり、他の市民権がなかったりする。

これは一刻でも早く解決すべき問題だとされてるけど、まだまだ解決への道のりは遠いみたい。

 

5年前に行われた、ロシア語を第二公用語にするかどうかにおいての国民投票では、4分の3の反対で否決された。でも、非国籍者であるロシア系の人は、そもそも投票権がなかったんだよね。

 

 

うーーーん。歴史が絡んでて、一筋縄にはいかない問題だぁ。

 

ちなみに国旗はこれ!

 

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バルト三国ソビエト感があるよってどこかで聞いてたんだけど、

カンボジアの温度を数十度下げて、建物を間引きしたような街だぁ

これがリガに着いた時の正直な感想でした。

 

カンボジアのように熱気はないし(その時の気温は0度だった)建物もたくさんあるわけではなかったけど、空港の周りが全然栄えてないかんじ、絶妙に似ていた。

 

直前に予約したfunky hostelというネーミングセンスがまぁまぁなホステルになんとか着き、ドキドキしながらホステルのreceptionのドアの前に行った。

 

ものすごいfunkyな音楽がガンガンかかってた。

ここは本当にfunkyなんだな、めちゃくちゃfunkyな人が出てきたらどうしようかな、って一瞬ドアを叩こうか迷ったけど、音楽に負けないくらい拳でドドドドドってドアを叩きました。

 

音楽がぴたっと止んで、出てきたのは…

めちゃくちゃ柔和な顔をしたおじいちゃん!ギャップがすごい。

 

やほやほ、よく来たね!ってすっごく優しく迎え入れてくれた。

 

 

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1泊20ユーロのホステルはこんなかんじでした。居心地良すぎた。

 

同じ部屋にはロシアから来てるMariaって子がいるよ、その子も一人旅してるみたいだから仲良くね!と言われ、部屋でMariaとおしゃべりをし、じゃあ夜の散歩するかーってことで、旧市街を散策したよ。空港の周りとはまったく違う雰囲気でびっくり!

 

 

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たくさんのバーがあった。

 

 

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聖ペテロ教会。

 

 

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ちなみにお昼に行った時はこんなかんじ。

圧巻でした。このリガの旧市街は、世界遺産に登録されてるんだよ!

 

 

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ヨーロッパってかんじの建物。

 

 

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上に乗ってる猫に注目!

 

 

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猫の家って呼ばれてるよ。

 

 

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ピンクのボーダーが入った綺麗な教会。

ラトビアの宗教は、プロテスタントルター派)、カトリック、そしてロシア正教

 

 

 

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治安は、めちゃくちゃよいです。ひとり旅も全然おけまる◎

 

 

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これは、3兄弟って呼ばれる建物。

 

 

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この道はかなり短くて狭い道なんだけど、私が人生で今まで歩いた道の中で、たぶん3つの指に入るくらい好きな道。行ったり来たり、3往復しました。

 

 

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これは、自由の記念碑。

1918年〜1920年ラトビア独立戦争で亡くなった兵士に捧げられています。

リガでの集会や公式の式典で中心の場所になることが多いみたいです。

 

 

 

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カラフルな建物がたっくさん並んでる旧市街。かわいい。

ずーっと歩いてて飽きないし、小さくて迷子になる心配もない。

だからこそ、この街は迷子になりたい街だと思った。

 

 

友達のZaraが、「小さな偶然が起きるように、予定はがちがちに立てないほうがいいよ」って言ってたのを思い出し、ノープランで1日ぷらぷら歩いてました。

 

 

どんな出会いがあったかは、次のブログに書こうと思います。

 

明日もいい1日になりますように!

 

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人生において大事なものってなに?って、プラハで2人のイラン人に聞いてみたんだ

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2ヶ月前のことですが、チェコプラハに行ってきました。

初めて東欧に行ったんだけども、息を飲むような景色に何回出会ったことか。

一緒に行ったのは、Zara

同じ寮に住んでいる友達で、プラハからスウェーデンに戻ったあとすぐイランに帰っちゃったんだけど、「ヨーロッパ最後の旅行は、かのんとプラハに行きたい」って言ってくれて。

授業の合間を縫って、プラハに3泊しました。

 

 

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私がこの旅行のことをブログに書いておきたいと思ったのは、

Zaraが人生についてたくさんのことを教えてくれたからです。

そして、Zaraの友達にも会ったんだけども、その方からも本当に考えさせられる時間と機会をもらったからです。

 

 

いろんな人生に触れた旅でした。

考えさせられた旅でした。

 

 

プラハはとっても素敵な観光地。

”みんな”がおすすめする、”行くべき”ところにもたくさん行った。

 

 

でも2ヶ月経って、私の心に残っているのは、美しい風景よりも、

Zaraと夜に髪を乾かしながら話したイランのことであったり、

座っておやつを食べながら話した日本のことであったり、

大聖堂の前で話した恋愛の話であったり、

スープを飲んだあとに話した学問を学ぶ意義であったり、

そして、プラハの街を歩きながら話した人生のことであって。

一緒に同じ空間で”考えた”時間だったんです。

 

 

わぁ、なんだか泣きそう。

 

 

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世界一美しい図書館に行ってきたよ。ストラホフ修道院の中にあります。

 

 

 

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中世の町並みってかんじ!

 

 

Zaraは、イランから来た、ずば抜けて頭がいい女性。

イランでトップの大学を卒業してその後大学院に進み、心理学を極めてた。

本当に極めていた。映画を一緒に見たあとは必ずディスカッションタイムがあった。笑

「あのシーンは心理学的にはね、」っていつも話を始めて、

「こんな角度からこう解釈することもできるんだ!」って私はいつも新しい発見をもらってました。

 

イランでは大学に入ることも、卒業することも、留学することも、女性にとっては本当に本当に難しいことなんだって。

Zaraは学位をとるためにPhDの学生としてスウェーデンに留学してました。

そして驚き桃の木サンマの開きだったのが、33歳だということ!

 

でも英語で会話してると、敬語がないから全く距離を感じない。不思議。

 

Zaraは私よりもひとまわり、ふたまわりたくさんの経験している人生の先輩だー!って思ってました。

 

でも、それ以上でした。

話を聞いていたら、想像を絶する経験もしていて。

でも自分が今まで頑張ってきたこととか、イランの素敵なところもいっぱい話してくれた。

イランに絶対来てねって言われたから、絶対行く。

 

 

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Zaraが住んでいるのは、イランの首都テヘラン。イラン文化の中心地。

スマホでたくさんの寺院や絨毯、陶器、そしてペルシャ猫の写真を見せてくれた。

イランの歴史も教えてくれた。頭の整理も兼ねて、ちょっと書いときます。

 

イランは今はイスラム教国家だけど、ササン朝ペルシャの時代まではゾロアスター教の国家だったらしい!ササン朝が滅びて、モンゴルからの侵略があり、イスラムシーア派を国教とするサファヴィー朝が1500年頃にできてから、イスラム化が進んだ国。ここの土地は、ヨーロッパとアジアが交わるかなり重要な場所だったから土地をめぐっての争いがたくさん起きたんです。世界史で習った膨大な量の王朝や都市や人の名前は、呪文のようだった。どうしても覚えられなかったから、ちびまるこちゃんのおどるポンポコリンの歌に合わせて、王朝の歌をせっせと作っていた高校3年生だったなぁ。

 

20世紀に入って、イランの近代化を進める動きが始まりました。脱イスラム化を図った政策としては、チャードルと呼ばれる女性が着る黒い布の着用を禁止して洋服着用例を発令したり、農地改革や識字運動などを進めたよ。1960年頃にパフラヴィー2世が起こした「白色革命」って呼ばれる、いわゆる西洋化運動です。でもかなり急激なものだったので、結果としてイラン・イスラム革命を引き起こすことになりました。

 

イラン・イスラム革命とは、まさにハイジにでてくるおじいさんのような白いお髭を蓄えたホメイニ師っていう人が国王批判をして逮捕&国外追放されたことを皮切りに起こった革命。「それはちがくない!?」って民主化を求める、王制打倒運動が国内で広がっていきました。詰んだ国王の代わりに、1979年にホメイニ師が母国イランに帰ってきて、「イスラム共和国作るよ!」ってなったのが、イラン・イスラム革命。そこからイランは厳格なシーア派国家になったのだけれど、周りのイスラム諸国はスンニ派で、イランの革命の波が広がらないかとビンビンに警戒してたんだって。アメリカとも対立関係になり、ピリピリし始めた。

 

そんな革命があった次の年、1980年に、イラン・イラク戦争が始まりました。イラクとイランの間を流れる川の使用権と、石油の輸出が問題になって、欧米諸国とソ連イラクフセイン政権をサポートした。1988年に停戦が成立するまで、他国家を巻きこんで8年間に及んだ戦争。長い…。打撃もかなり大きいものでした。そしてそのあと湾岸戦争が始まったんです。

 

Zaraは、小さい頃に体験した戦争のことを話してくれた。

サイレンが聞こえてきたら、お母さんに抱っこされて防空壕に駆け込む日々。

今も、サイレンの音や大きい爆発音を聞くと、その時の情景がフラッシュバックするんだって言っていた。

 

私はスウェーデンに来るまで、戦争を体験した友達には会ったことがなかった。

私にとって、戦争は遠くで起こっているものだった。

恥ずかしいけど、本当にテレビの向こうの話だった。

 

でも、私より13年間長く生きていて、育った国も文化も環境も違って、そして実際に戦争を体験した人が、自分の目の前にいて、生きている。

同じ机で、あたたかいごはんを一緒に食べている。

辛かった経験を、私に共有してくれている。

 

話してくれて、ありがとう。という言葉しか出てこなかった。

 

 

話を聞いている時、戦争の話をするひいおじいちゃんの顔が、私の頭をよぎった。

 

戦争は、あかん。って言葉と一緒に。

 

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でも最近、すごく不穏だ。ニュースを見ていて、胸が本当にざわざわする。

なんだか、世界が行っては行けない方向に流れていっている気がする。

 

 

先々月にトランプが発表した大統領令。特定の7ヶ国の国籍を持つ人は、アメリカには一時的に入国を禁止された。その7つの国の中に、イランがあった。

Zaraのイラン人の友達は、この大統領令によって、夢が粉々になったと言っていた。

とっても優秀な女性で、やっとアメリカの大学で働けることになって、たくさんの希望をスーツケースにつめこんでいた矢先、航空会社から、「イラン人だから」という理由で搭乗を拒否されたらしい。

Zaraに泣きながら電話してきたんだって。

 

Zaraもそれを聞いて苦しかったって言ってた。

 

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そして、プラハでもう1人、イラン人の方に会ったんだ。

その方はZaraの友達で、今はプラハでラジオ局に勤めている人だった。

 

一緒にご飯を食べていて、いろいろ仕事のこととか今までやってきたこととかを聞いていた中で一番衝撃的だったことは、

 

「イランには一生帰れないんだ、アメリカ系の会社に勤めているから」

 

っていう事実だった。

 

イランに帰りたいけど、もし帰ったらスパイと疑われて命が危ないから、もうここ十数年帰ってないんだって。そしてこれからも帰れないらしい。

 

だから家族がいつもチェコに来てくれるんだ。

さみしいけど、自分の可能性を広げたかったし、自分で選んだ道だからね。

でも、本当にイランは大好きだし、いつか絶対に戻りたいって思ってる。難しいことだけど。

 

って言いながら、彼は自分の犬を優しくなでた。

 

この犬は、イランで飼った犬なんだよ。

こいつといると、イランでの思い出を思い出すんだ。

 

 

人生で大事なものってなんだと思う?って聞いたら、

HOME

って返ってきた。

 

 

帰れるHOMEがあるってことは、当たり前ではないんだな…。

 

 

国籍が夢を潰したりする世界があるということ、

自分のふるさとに帰れなくなる世界があるということ、

そしてそれは全く遠くの世界ではないということを、目の当たりにしました。

 

 

私がそういう状況に置かれたら、どう思うんだろう。

自分が生まれた国を恨んでしまうのかな、世界を変えてやろうとアクションを起こすのかな。わからなかった。

 

 

この世界が大事にしているものってなんなんだろう。

人の中身、性格よりも、その人の「国籍」や「民族」や「宗教」が最近より重視されて始めたように思う。

良いことなのか、悪いことなのか。

国益を守るための正義なのか、差別的で排他的な悪なのか。

グローバル化という言葉が讃えられていた頃からの反動なのか。

いろんな見方があるから、簡単にright,wrongに仕分けられる問題ではないとは分かっているけど。

 

国籍とか民族とか宗教っていう大事なアイデンティティのひとつが、時にジャッジされるラベルとなって悲しい思いをしている人が世の中にたくさんいることを、忘れてはいけないな、と感じています。

 

 

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100%のフルーツジュース!

 

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中にはアイスが入ってるよ!

 

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これはスターバックスのドーナツ。

このスターバックスは丘の上にあって、とってもいい眺めなんです!

街を一望できます。

 

 

Zaraとゆっくり街を歩いていて、地元の人と仲良くなったり、適当に道を歩いていたら迷子になったけど思いがけず素敵なオルゴールのお店を発見したり、店員さんとプラハの歴史について語ったりして。なんだかとってもわくわくが多かった旅でした。

 

 

「旅も人生も、予定を立てすぎちゃだめだと思うの、小さな偶然が起きるためのスペースを持っとかなきゃね」

 

 

2人で予定をがっちがちに立てず、北の方に行ってみるか〜、ってかんじで街をプラプラ歩いていたら、あるおじさんと仲良くなって、教会でのコンサートに呼んでくれたんだ!

 

ちょっとチケットも安くしてくれて、おまけに最前列に座らせてくれた。

 

パッヘルベルのカノンの生演奏を聞けて、涙ちょちょぎれそうになりました。

自分の名前の由来であるこの曲をプラハで聞けるとは。

 

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あと、心理学を勉強している彼女曰く、旅はたくさんするといいらしい。

 

目の前の道を曲がろうか、まっすぐ行こうか。

どうやって目的地まで行こうか。

誰に話しかけようか。

 

常に選択することが求められる。

 

そして、旅の中で、人と関わって、その土地の文化や価値観を吸収して、自分の持っているものと照らし合わせて、自分の価値観がまた作られていく。

 

判断力や行動力、コミュニケーション力が鍛えられるんだって。

 

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選択すること、

自分がどこにいるか把握すること、

そして積極的にソーシャライズすること

この3つは本当に大事なものだなぁーって、このプラハの旅で思ったよ。

 

これは旅だけじゃなくて、人生全体にも言えることだよね。

 

Zaraは、人生で大事なのは「とにかく今いる環境、今起きていることを楽しむこと」とも言ってたなぁ。

 

 

スウェーデンに留学できて、こうやっていろんなバックグラウンドを持った人と話ができて、自分の歩んできた道をちょっと振り返っては、これからどういうふうに歩いていこうかなーって考える機会にあふれているこの環境に感謝しなきゃだね、って話していました。

 

 

イランの公用語であるペルシャ語で、ありがとうは「مرسی۔」って言うんだって。

メルシーと発音するよ。フランス語と一緒だ!

ペルシャ語は、東洋のフランス語とも呼ばれてるらしい。ほぇ〜

 

 

メルシーZara!イランでまた会おうね!

 

 

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